植物 - ひこばえ
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ひこばえ


植物 カテゴリーの記事

竹散る

竹散るや武士は主君のために死す



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「三浦一族の衣笠城には、一族の大祖父と仰ぐ八十九歳の大介義明も立て籠っていたが、砦の運命も、早これまでと迫った日、子や孫を集めていうには、
(古巣の城は焼け落ちてしまう。かえってお前たちの為だ。広い世の中へ、各々、力いっぱいの巣立ちをせよ。―――この義明は、累代源氏の御家人と生れ、八十余歳まで生きのびた効いあって、今、佐殿の旗挙げを見た欣しさ。
……これで死んでもいい。落城の火の粉は、孫や子たちの出世の種蒔じゃ。こんなよい往生があるものか)
そして、去りがての孫や子たちが、落ちてゆくのを見届けてから、八十九歳の老将は、華々しく戦死した」
(吉川英治著「源頼朝」より)

大善寺を出て車で5分ほどの「満昌寺」(横須賀市大矢部)へ向かった。この寺は建久5年(1194年)源頼朝が三浦大介義明追善のために創建したものである。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に三浦一族が果たした役割は大きい。「平家の世はもう長くはありません。起つなら今でございます、佐殿」と決起を促したのは都帰りに伊豆へ立ち寄った三浦義澄(義明の次男)と千葉胤頼である。「頼朝の決心が最終的に決まったのは実にこの時ではないかと想像している」と永井路子氏は「源頼朝の世界」の中に書いている。伊豆の目代山木兼隆を襲い、三浦の本拠地に近い鎌倉を目指すという作戦。大庭景親を総大将とする平家側と石橋山で対決し惨敗を喫するが、すぐさま千葉へと移り再起を図り鎌倉入りを果たす。全ては三浦一族なしでは出来なかった快挙である。衣笠合戦で命を落とした三浦義明に対する頼朝の思いがどれほどのものであったかは想像するまでもないことである。鎌倉政権樹立の立役者なのである。

境内には「頼朝公お手植えの躑躅」が植えられていた。御開帳の寺ではあるが、朝が早すぎて誰も見当たらない。勝手に門から境内へと進み、本堂にお参りさせてもらい、左手奥にある義明公の御廟の方へと向かった。簡易的な門扉を開いて進むと、「羅漢さんの庭」なる看板が立てられていた。廟所に至る石段の横に33体の羅漢像が並べられていて、「皆さまと似た顔があるかもしれません」などと書かれている。「いろんな物を作るもんだなぁ」と思いながら石段を上っていった。御廟は崖の斜面に造られているように見えた。写真を撮ろうとしても後ろは崖になっていて下がることさえ出来ない。墓を囲む塀は立派なものだが、如何せん狭さを感じた。背後の山に植えられた竹から頻りに落葉が降っていた。立役者の墓にしてはと思ったが、前日に見た頼朝の墓を思い出し、墓は大小ではないと思い直すことにした。まずは深くお参りし、心に刻んで石段を下りてきた。そのあと、近くの史跡を見て回ったがそれほどのものではない。私のゴールデンウィークは実にこの2日間で終わったようなものである。
                                 (平成29年作)

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山若葉

山若葉絶えず水湧くひとところ



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それから話が始まった。まずは上り坂のことである。
「元々はあんなに急でなかったんですよ。舗装工事をした時に土を盛ったようで、傾斜が急にきつくなりました。車で来た人はとにかく驚きます(笑)。衣笠城址の看板も分かりづらかったですか?昔は坂の上り口に大きな看板があったのですが……」
「城址には行ってきましたか?今あそこは公園とはいうものの、誰も管理する人がいなくなったので木も伸びっぱなしの状態です。昔は柴を刈って横須賀に売りに行く人がいましたから、枝を落としたり、伸びた木を切ったりとそれなりに手入れもしていたんです。桜の木も小さくなりました。周りの木が伸びて桜が枯れるんです。まだ少しは残っていますが昔に比べると寂しい限りです。物見岩に上っても何も見えなかったでしょう。昔は見晴らしがよく、下の道路や民家の屋根が見えたんです。今では想像も出来ません。周りの木もそうですが、孟宗竹なんかを伸ばしっぱなしにするから何も見えなくなるんです」
「不動井戸は見ましたか?まだですか。それではこちらへどうぞ」
<ワー、うれしい、ラッキー!>という感じである。寺を見たり、城跡を見たりしても一人では素通りと同じである。こんなにいろいろと教えてもらえることは少ない。女性の話は続く。
「昔からある井戸です。私が子供の頃はこの井戸の水が溢れ出していつも小さな流れを作っていました。そこにホタルが来て、とてもきれいなものでした。今ではコンクリートにされてしまいましたのでホタルは来ません。この井戸はこんな山の上にあるのに涸れたことがありません。目の前の山の水であれば雨が降らないと涸れるはずですから違う所から湧く水でしょう。富士山の水か丹沢の水に違いないと言っています。この水は本当にきれいです。雨が降ると土砂が流れ込んで井戸も濁ってしまいますが、雨がしばらく降らないととてもきれいに澄んでいます。井戸の奥にお不動さんがいますよね(写真)。水が澄んだ時に夜、懐中電灯で照らすと本物のお不動さんと水に写ったお不動さんが見分けが付かないほどそっくりに見えます。とても神々しいですよ」
女性とは30分以上も話しただろうか。いろいろと教えてもらった。まだまだ聞きたいことがあったのだが、向かいの若奥さんがゴミを捨てに出てきてそちらと話が始まってしまった。私との話を中断することになって若奥さんは恐縮していたが、なにやら込み入った話のようだったのでお礼を言って立ち去ることにした。お寺の駐車場から車を出してゆっくりと下りて行くと竹箒を持ったまま見送ってくれた。とてもいい人である。感謝、感謝である。
                                 (平成29年作)
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著莪咲く

著莪咲いて谷の深さのほの見ゆる



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城跡公園を下り大善寺をお参りし、その下にある「旗立岩」というものを見に行った。民家の庭のようにも見えるが、立入禁止の札が立っている訳ではない。ガイドブックにも載るほどの物なので咎められることはないだろう。その家の車庫に入って岩の下まで進んだ。岩の上に小さな祠があるのが見える(写真)。上ることは出来るのだろうかと思って見ると、岩の回りに道があることに気付く。進んでいくと道はグルッと回っていて頂上に上がって行けるようになっていた。道の左手は崖である。辛うじて柵がされているが、落ちたら大怪我である。シャガの花が美しい。道に沿って植えられ、崖の下にまで続いているようである。足元に気を付けながら上って頂上に立った。いい眺めである。他人の家の庭に入って「いい眺めだ!」などと言っているのも気が引けるが、昔ここに三浦軍が旗を立てたのだと思うとまずまずの気持ちである。祠は小さなものだったが、立派な作りをしていた。手の込んだ作りで屋根も据えられ、職人技でしっかりと作られたものであることが分かった。所々に錆びついた個所もあるが、鍵などが掛けられ今も大切にされているのが見て取れる。三浦一族の家紋「丸に三つ引き」が彫られている。写真を撮って下に降りてきた。
道路に出ると家の周りを竹箒で掃いている女性に出会った。年の頃、70代前半と見えた。声を掛けさせてもらった。
「お早うございます。岩の上の祠は立派なものですね」
「ありがとうございます。あれは昭和30年に近所の銅工屋さんが作ったものなんです。その前にはあそこには何もなかったんです。穴は開いていたと思うんですが、誰も掘ろうなんていう人はいません。ある時、そこから骨が出たんです。盃と一緒に人の骨が出たので、みんな大騒ぎになりました。あんな場所に骨を入れておくのは名のある人のものに違いないということになり、大介(おおすけ)のものだということになりました。本当のところは分かりませんが、みんながそう言うのでそうだと言うことになったようです。それであの祠を作ってお祀りするようになったんです」
大介とは三浦一族の当主「三浦義明」のことである。
                                 (平成29年作)
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樟落葉

裏山の小さきやぐらや樟落葉



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出掛けに少しまごついたので鎌倉の白旗神社に着いたのは5時10分だった。家から30分の距離である。
ここは宝治元年(1247年)三浦氏が北条勢と戦い、一族郎党五百余名が切腹して果てた法華堂のあった場所である。
神社にお参りし、その横の石段を上り源頼朝の墓を訪ねた。ここに来たのは何時だったろう。思い出そうとしても思い出せない。35年位前だったような気もする。誰と来たのだろう。随分と年を重ねたものである。いつでも来られる場所に住みながら35年の月日を何をして過ごしていたのだろう。来し方を振り返り少し感傷的になった。
墓の右側に岩場の登り道がある。足場を求めて一歩ずつ上がると山腹の細道に出る。右側が崖となって落ち込んでいるので気を付けながら行くと玉垣に囲まれた立派な三つの墓の前に出た。島津と毛利の墓である。宝治合戦の際、両家の始祖だった者が源氏政権を乗っ取った北条氏に反発し、三浦氏に組して法華堂で自刃したのである。荒れていた墓を両家が整備したのは安政年間(1775年頃)のことである。
その墓の辺りを三浦一族の墓を求めてキョロキョロしたが一向に見当たらない。やむなく墓の前の石段を下り、鳥居をくぐったところで、先程歩いた山腹の崖の下に小さなやぐらがあるのを見つけた(写真)。第一印象は「いやに小さいなぁ」である。島津も毛利も頼朝の墓もきちんと整備されていたにもかかわらず、なぜ三浦一族の墓だけはやぐらの中なのだろうと思った。義明の墓も義村の墓も道寸の墓も立派に建てられたというのに一族の墓だけはそのままである。しばしその場で考えてみたが分かるものではない。疑問が解決出来ぬまま、次の目的地である材木座の来迎寺に向かうことにした。三浦義明の墓があるのである。
来迎寺の門は閉まっていた。まだ6時前である。駐車場にも入れないので道を塞がない程度に寄せて路上駐車をした。門は勝手に開けさせてもらって入ることにした。断わる相手もいない。誰もいない社務所の横を通り正面の本殿へと進んだ。すぐに墓は見つかった。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した寺である。しっかりお参りしたつもりではあるが、誰もいない寺の中というのは居心地が悪い。長居も出来そうにないし路上駐車も少し気になる。早々に立ち去ることになってしまい、何とも慌ただしい気がしたものである。
                                 (平成29年作)

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茄子の花

芸人に長き下積み茄子の花



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もう一人、当会の有名人のことを書いておこう。ビートきよし師匠である。昨年のモーニングセミナーで講演をしていただいたところ、すっかり会の趣旨に賛同してくれて入会までしていただき、たびたび飲み会などにも参加してくれているのである。今回の歓迎会にも来てくれて一言挨拶をしてもらったのである。
師匠とは忘れられない思い出がある。昨年暮れの事である。私の前で飲んでいて俳句の話になった。
師匠「この間、NHKの番組に出てよォ、山形まで行って最上川で船に乗ってきたんだよ。俳句の番組でよォ、そこで一句詠めって言うんだよなァ。結構、難しいもんだよ、あれは」
私「俳句は師匠が本当に考えたのですか?」
師匠「そりゃそうだよ。大変だったよ。紅葉の句を作ったんだけど頭使ったよ」
私「俳句はたった17文字ですが、なかなか難しいものです。自分でいいと思っても他人が読むと何を言っているのかサッパリ分からないというのもあります。大切なのは、誰が読んでもその情景がパッと目に浮かぶということです」
師匠「詳しいねぇ!」
私「俳句歴20年です。大体のことは分かります(笑)」
それからしばらく飲んでいたが、随分経ってから師匠がやおら舞台に上がってマイクを持って話し始めた。
師匠「いやぁ、この間のNHKの番組を見てくれた人がいるかどうかは分からないけど、俳句の番組で山形まで行ってきたわけよ。俳句っていうのは難しいねぇ。五七五しかないんだから。大変だよ。最上川に三難所という場所があってそこを船で下った時に作ったんだけど、今日はちょうど俳句の先生が来ているというので俺の俳句が良かったのかどうか聞いてみたいと思ってよ。なんたって作った俳句でどっちが上手いか対決することになっていて、相手の〇〇ちゃんとは引き分けということになったので、いいのか悪いのか分からないと来ているんだよ。詠んだ俳句を披露するので判定してもらいたいと思ってよ」
結構、お酒が入って上機嫌な私である。文字を見ないで読み上げた俳句にコメントするということになってしまった。その時の俳句を今ではすっかり忘れてしまったが「激流や……」で始まる句であったことは確かである。句はその激流に紅葉が映って美しかったというような内容だったと思う。酔っているというのは恐ろしいもので、師匠から振られた瞬間「駄目、駄目、全然駄目!」とやってしまったのである。今思い出しても冷や汗が出る。
私「激流や、ですよね。激流といえばラフティングをするような白波のイメージですよ。そこに美しい紅葉が映ったというんですか。映らないでしょう。白波に紅葉が映るっていうことは考えられない。紅葉が映るとしたら、流れの緩やかな瀞(とろ)のような場所ですよ。激流に映ることはないでしょう。激流と紅葉の組み合わせでしたら、飛沫(しぶき)に濡れる紅葉とか、散った紅葉が流れに散り込むとか。そのほうがイメージしやすい。まぁ、才能ありか無しかと言われれば、まずは凡人だなぁ……」
師匠「なるほど、俺も作っていて何か変だなぁと思っていたんだよなぁ……」
あとで考えると師匠には本当に大人の対応をしてもらったと感謝している。普通は頭から駄目と言われればカチンと来るものである。そこを「なるほど」と収めてくれたのである。酔った勢いとは恐ろしいものである。調子に乗ってはいけないことを思い知らされた。あれから何度か飲んでいるが師匠とはあれ以来俳句の話をしたことがない。
                                 (平成29年作)
(注)茄子の花には無駄花がなく、必ず結実するという。

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