植物 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


植物 カテゴリーの記事

花散る

花散るや斜線だらけの予定表



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30日(月)志村けんさん(70)の訃報が流れた。コロナウイルスに感染したことが報じられて6日目の出来事である。身近に感染した人がいなかったのでどこかで呑気に構えていた自分がいたようだが、この訃報でコロナの本当の恐ろしさに直面させられたような気がした。
私「驚いたなぁ、まさか亡くなるとはなぁ……」
夕食を摂りながらの会話である。
妻「病院側だって相当に手を尽くしたんでしょうけどね」
私「どこかに疾患でもあったんだろうか?」
妻「4年ほど前に肺炎を患っていたらしいわよ」
私「なるほどなぁ。高齢者や基礎疾患のある人は要注意というけど、本当だなぁ」
妻「会社の人は大丈夫なの?」
私「今のところは大丈夫。明後日の全体朝礼で不要不急の外出についてはご家族も含めて自粛してもらうようにお願いする」
妻「そうね。じゃ、高尾山はキャンセルするからね」
私「えっ、なんで?関係ないじゃん!」
妻「関係あるでしょ。人にお願いする立場の人が山登りに出掛ける訳にはいかないわよ」
私「山は大丈夫だよ、誰とも接触しないし」
妻「する。ガイドの人もいれば、参加者同士で話もする」
私「しない」
妻「する。するしないの問題じゃなくて、これはモラルの問題だよ。キャンセルするからね」
私「じゃ、俺一人で行ってくるよ」
妻「自分が移らないだけじゃなくて、人に移さないことも重要だよ。貴方が感染したら完全に私にも移るんだからね。私を守ってくれないの?」
私「……」
妻「はい、キャンセルするよ」
私「しょうがないなぁ。富士山が消えてしまう……」
妻「消えないわよ。コロナが終焉すればいつだって行けるでしょ」
私「フ~」
                                 (令和2年作)




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椿散る

鎌倉に椿散り込む遺構あり



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瑞泉寺へ向かう小道を歩いていると椿の花が水路に散り込んでいた(写真)。とてもきれいである。水があまり流れていないようで散った姿をそのままに留めている。「椿」は春の季語。何かここで一句、物にしたいところである。椿の花は花が丸ごと落ちるのが特徴であり、「落椿」「椿散る」という季語もいい。鎌倉には似合いの花のように思える。写真を撮り、句を考える。落ちたこの水路を何と詠むべきだろう。小流れ、水路、溝、掘割、排水溝、側溝などの言葉が浮かぶが確信が持てない。「開渠」という言葉も浮かぶ。東大構内で妻に教えられた「暗渠」とセットになっている(令和元年11月9日、ひこばえ「秋風」)。
「遺構」という言葉も浮かぶ。調べてみる。
「遺構は過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態、言い換えれば過去の人類の活動の痕跡のうちの不動産的なものを指す。現在まで残存している部分のみを言ったり、かつての建造物の構造の痕跡が確認される全体を指したりする」(ウィキペディア)
「過去」と「後世」が出てくるので、どれくらいの時代の物を対象にするかは分からないが、私の感覚では山と海に迫られた狭い鎌倉の地形から相当の昔からこの水路はあったものに違いないと推察する。
<これは正しく遺構と言える物なのではないだろうか>
道を上がりながら、そんなことを考えていた。

瑞泉寺の総門に到着した。久し振りである。拝観料200円を納める。男性に聞く。
私「コロナの所為で参拝客が少ないんじゃないですか」
男性「少ないねぇ。いつもの半分も来てないよ」
私「じゃ、ゆっくりと見せてもらいますよ」
男性「どうぞ、どうぞ(笑)」
私「梅は今、何分咲きなんですか?」
男性「今年は早くて、もう上の方のは散り始めてるよ」
私「まだ3月に入ったばかりじゃないですか」
男性「暖冬だからねぇ。いろんな花が例年より早く咲いてるから花好きにはいいんじゃないかな(笑)」
私「そうですか。特に花好きという訳でもないけど、じゃ、まぁ、楽しませてもらいます(笑)」
                                 (令和2年作)




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春草

春草や幼な公方も踏みし草



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カーナビには足利公方邸旧蹟の碑があるという「浄明寺4丁目2」を登録して走り始めた。釜利谷を通り朝比奈峠を抜けて15分ほどで目的地に近づいた。ナビが右折を指示する場所に到着したがいやに道が狭く、しかも急な上りである。<本当に入って行けるのだろうか?>
後続の車にクラクションを鳴らされた。思い切って入ってみた。降りてくる車と向かい合わせになった。強引に上ってスレスレに躱した。ナビは更に右折を指示してくる。住宅地である。空き地のような場所があったのでひとまず停めて外に出てみた。運転の下手な私にとっては最もイヤなパターンである。大きく深呼吸して辺りを見渡した。
「鎌倉公方」のことを考えている。室町時代の関東地方を知る上で欠かせないのが「鎌倉府」であり「鎌倉公方」のことである。京都に本拠を置いて西日本から中日本を支配していた足利幕府に対し、関東から東日本を支配する機関として置かれたのが「鎌倉府」であり、その長官が「鎌倉公方」である。初代鎌倉公方となった「足利基氏」は足利尊氏の実子であり、2代将軍足利義詮の弟に当たる。ウィキペディアによると暦応3年(1340)生まれで貞治6年(1367)に亡くなっている。享年27才ということになる。鎌倉公方の在任期間は貞和5年(1349)から亡くなるまでなので、9才で公方になったことになる。当然補佐が必要となり、のちに関東管領となる上杉憲顕が選ばれている。どなたかのブログに「魑魅魍魎うずまく南北朝時代にあって珍しい正義感に溢れた立派な人物であった」と書かれていた。そしてその根拠として次のようなことが綴られていた。
「足利基氏は京都で生まれました。彼が生まれた時、兄の義詮は鎌倉におり、兄とは面識なく育つことになりました。彼が9才になった時に兄と交代で鎌倉に赴くことになります。京を出発したのが貞和5年9月9日で兄の義詮が鎌倉を出発したのが同年10月3日です。たった数日かも知れませんが兄弟が直接対面する機会があったと思われます。そしてこれが兄弟が出会う唯一の機会であり、二人は二度と直接顔を合わせることはありませんでした。僕が基氏を素晴らしい人物と評する最大の点はこの人生たった一度出会っただけの兄に対し終生協力を尽くし、関東における室町幕府の基礎を築き上げたことです」
住宅地の中をグルグル歩き回ってようやく碑を見つけた(写真)。「大正9年3月建立」と記されている。数えればこの3月でちょうど100年目ということになる。少し傾いているところが気になると言えば気になるが、巡り合わせと言えるのではないだろうか。建てたその日のちょうど100年目に私が立っている。
                                 (令和2年作)




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冬林檎

包丁の顎以て抉る冬林檎



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アカデミー賞が発表され、韓国映画「パラサイト」が作品賞を受賞した。
私「韓国とは珍しいね」
妻「英語圏以外の作品では初めての受賞だから、これからのオスカーも変わっていくんじゃないかって書かれていた」
私「上映したら観に行こうよ」
妻「もう上映されてるよ。随分、前から」
私「上大岡でも?」
妻「今、ちょうど、やってるんじゃないかなぁ」
私「そうなの。じゃ、行ってみようよ」
妻「ええっ、あんまり観たくないなぁ……」
私「どうして?」
妻「パラサイトっていうところが……」
慰安婦問題や徴用工問題などがあるので韓国嫌いになっているのかなぁと想像しつつも、なんとか観に行くことで話がまとまった。スマホで予約している。建国記念日の2月11日(火)3時20分で取ってもらった。当日は朝から本を読んだり、絵を描いたりして過ごし、2時半に家を出ることにした。その少し前、2時に宅配便が来た。母からリンゴが届いたのである。毎年、青森の業者に連絡して送ってくれているのだ。
妻「お母さんに電話して。私が掛けると話が長くなるので貴方が掛けて」
私「ハイよ」
すぐに繋がった。
私「リンゴ、ありがとう。今、届いたよ」
母「この頃、年を取った所為か、何事もすぐにやれなくなってしまって悪かったね。いつもだったら暮れに送っていたんだけど、こんな時期になってしまって……」
私「別に1ヵ月、2ヵ月、ズレたからって誰からも文句を言われることじゃないんだからいいんじゃないの?」
母「それでもやることは早くやった方がいいんだァ。何でも後回しにしていたら、いやなもんだサ」
それから母の長話が始まった。親戚の話、千葉の台風の話、異常気象の話、お寺の話、昌ちゃんの十三回忌の話。頭の回転のいい人なので次々と話が続いていく。2時10分に始めた電話があっという間に2時30分に近づいてくる。妻は玄関で待っている。どこかで話を終わらなければならないが、切りのいいところが見つからない。習字の話に移った。
母「報恩講で、もう30年にもなるんだけど……」
私「母さん、悪いけどまた明日電話するわ。ちょっと出掛けなければならないから」
母「あっ、そう、じゃまた(ガシャン)」
いつも電話を切る瞬間はいやなものである。ちょっと後ろめたさが残る。
私「悪い、悪い、なかなか切れなくて……」
妻「そうなんだよね。分かる、分かる(笑)」
                                 (令和2年作)




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愛宕山梅を手折りて献上す



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2月6日(木)、夕方に三重県の友人と品川で飲むことになっていたので少し足を伸ばして「愛宕山」を訪ねてみることにした。伊集院静さんの時に書いた「愛宕山」である(令和2年2月14日、ひこばえ「日脚伸ぶ」)。品川の先で三田線に乗り換えて御成門で下車すると歩いて5分ほどの場所にある。地下道をくぐってエレベーターで地上に出ると地図が出ていた。虎の門ヒルズや他のヒルズ、今まさに建設中のヒルズもあり、ヒルズだらけの中に小さな森がある。東京23区内で一番高い山である。25.7メートル。夏目漱石と正岡子規が見たら何と言うだろうか。そこだけが開発されずに残されていることに驚くかも知れない。まさに「摩天楼より新緑がパセリほど」(鷹羽狩行句)である。
その日の朝、桜木町のクリニックで胃カメラの検査を受けていた。胃カメラの日に飲酒とは……もし生検でもあったらドクターストップのところである。昨年の手帳と今年の手帳の差し替えの時期に胃カメラの予約をして前々から決まっていた飲み会とブッキングしてしまったのだ。性格が細かい割にはいい加減な所がある。予約を変更しようと連絡をすると随分と先のことを言われたのでそのまま受けることにした。結果は異常なし。年に一度の胃カメラに問題はなく、細胞も取られなかったので大手を振って飲みに行けたのだった。
「ミチクサ先生」には愛宕山を見上げながら「山登りというのは何がええんかのう?」と問い掛ける子規が出てくる。それに応えて曰く「私は山を登ると、自分のことや、この先のことを、なぜかよく考えることができるんだよ。その時はたしかに山に登っているだけなのに、なぜか、自分のことや、世間、社会というものがよく見えるんだよ」
今はビルの間に埋もれたようになっている「愛宕山」だが、当時は視界を遮るものもなく四方を見渡せたことだろう。海外旅行に出掛けた時に自分の小ささに気付いたり、日本の狭さを感じたりする感覚と同じかも知れない。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とは「草枕」の冒頭である。「愛宕山」の階段かどうかは分からないが山を登りながら考えるのが好きな漱石先生のようである。
「出世の石段」86段を一気に登った。この坂を馬で駆け上がって大出世を成し遂げた武士がいたというがまさに命懸けの傾斜角度である。落ちたら普通の怪我では済みそうもない。乱れた息を整えながら神社へと進みお参りを済ませた。
(注)寛永11年春、三代将軍家光公が愛宕神社の下を通りかかった。折しも梅が満開である。「誰か、あの梅を馬にて取って参れ」。これに応えたのが四国丸亀藩家臣「曲垣平九郎」である。一気に石段を上がり降りして梅を献上した。
                                 (令和2年作)




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