植物 - ひこばえ
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ひこばえ


植物 カテゴリーの記事

樟落葉

裏山の小さきやぐらや樟落葉



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出掛けに少しまごついたので鎌倉の白旗神社に着いたのは5時10分だった。家から30分の距離である。
ここは宝治元年(1247年)三浦氏が北条勢と戦い、一族郎党五百余名が切腹して果てた法華堂のあった場所である。
神社にお参りし、その横の石段を上り源頼朝の墓を訪ねた。ここに来たのは何時だったろう。思い出そうとしても思い出せない。35年位前だったような気もする。誰と来たのだろう。随分と年を重ねたものである。いつでも来られる場所に住みながら35年の月日を何をして過ごしていたのだろう。来し方を振り返り少し感傷的になった。
墓の右側に岩場の登り道がある。足場を求めて一歩ずつ上がると山腹の細道に出る。右側が崖となって落ち込んでいるので気を付けながら行くと玉垣に囲まれた立派な三つの墓の前に出た。島津と毛利の墓である。宝治合戦の際、両家の始祖だった者が源氏政権を乗っ取った北条氏に反発し、三浦氏に組して法華堂で自刃したのである。荒れていた墓を両家が整備したのは安政年間(1775年頃)のことである。
その墓の辺りを三浦一族の墓を求めてキョロキョロしたが一向に見当たらない。やむなく墓の前の石段を下り、鳥居をくぐったところで、先程歩いた山腹の崖の下に小さなやぐらがあるのを見つけた(写真)。第一印象は「いやに小さいなぁ」である。島津も毛利も頼朝の墓もきちんと整備されていたにもかかわらず、なぜ三浦一族の墓だけはやぐらの中なのだろうと思った。義明の墓も義村の墓も道寸の墓も立派に建てられたというのに一族の墓だけはそのままである。しばしその場で考えてみたが分かるものではない。疑問が解決出来ぬまま、次の目的地である材木座の来迎寺に向かうことにした。三浦義明の墓があるのである。
来迎寺の門は閉まっていた。まだ6時前である。駐車場にも入れないので道を塞がない程度に寄せて路上駐車をした。門は勝手に開けさせてもらって入ることにした。断わる相手もいない。誰もいない社務所の横を通り正面の本殿へと進んだ。すぐに墓は見つかった。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した寺である。しっかりお参りしたつもりではあるが、誰もいない寺の中というのは居心地が悪い。長居も出来そうにないし路上駐車も少し気になる。早々に立ち去ることになってしまい、何とも慌ただしい気がしたものである。
                                 (平成29年作)

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茄子の花

芸人に長き下積み茄子の花



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もう一人、当会の有名人のことを書いておこう。ビートきよし師匠である。昨年のモーニングセミナーで講演をしていただいたところ、すっかり会の趣旨に賛同してくれて入会までしていただき、たびたび飲み会などにも参加してくれているのである。今回の歓迎会にも来てくれて一言挨拶をしてもらったのである。
師匠とは忘れられない思い出がある。昨年暮れの事である。私の前で飲んでいて俳句の話になった。
師匠「この間、NHKの番組に出てよォ、山形まで行って最上川で船に乗ってきたんだよ。俳句の番組でよォ、そこで一句詠めって言うんだよなァ。結構、難しいもんだよ、あれは」
私「俳句は師匠が本当に考えたのですか?」
師匠「そりゃそうだよ。大変だったよ。紅葉の句を作ったんだけど頭使ったよ」
私「俳句はたった17文字ですが、なかなか難しいものです。自分でいいと思っても他人が読むと何を言っているのかサッパリ分からないというのもあります。大切なのは、誰が読んでもその情景がパッと目に浮かぶということです」
師匠「詳しいねぇ!」
私「俳句歴20年です。大体のことは分かります(笑)」
それからしばらく飲んでいたが、随分経ってから師匠がやおら舞台に上がってマイクを持って話し始めた。
師匠「いやぁ、この間のNHKの番組を見てくれた人がいるかどうかは分からないけど、俳句の番組で山形まで行ってきたわけよ。俳句っていうのは難しいねぇ。五七五しかないんだから。大変だよ。最上川に三難所という場所があってそこを船で下った時に作ったんだけど、今日はちょうど俳句の先生が来ているというので俺の俳句が良かったのかどうか聞いてみたいと思ってよ。なんたって作った俳句でどっちが上手いか対決することになっていて、相手の〇〇ちゃんとは引き分けということになったので、いいのか悪いのか分からないと来ているんだよ。詠んだ俳句を披露するので判定してもらいたいと思ってよ」
結構、お酒が入って上機嫌な私である。文字を見ないで読み上げた俳句にコメントするということになってしまった。その時の俳句を今ではすっかり忘れてしまったが「激流や……」で始まる句であったことは確かである。句はその激流に紅葉が映って美しかったというような内容だったと思う。酔っているというのは恐ろしいもので、師匠から振られた瞬間「駄目、駄目、全然駄目!」とやってしまったのである。今思い出しても冷や汗が出る。
私「激流や、ですよね。激流といえばラフティングをするような白波のイメージですよ。そこに美しい紅葉が映ったというんですか。映らないでしょう。白波に紅葉が映るっていうことは考えられない。紅葉が映るとしたら、流れの緩やかな瀞(とろ)のような場所ですよ。激流に映ることはないでしょう。激流と紅葉の組み合わせでしたら、飛沫(しぶき)に濡れる紅葉とか、散った紅葉が流れに散り込むとか。そのほうがイメージしやすい。まぁ、才能ありか無しかと言われれば、まずは凡人だなぁ……」
師匠「なるほど、俺も作っていて何か変だなぁと思っていたんだよなぁ……」
あとで考えると師匠には本当に大人の対応をしてもらったと感謝している。普通は頭から駄目と言われればカチンと来るものである。そこを「なるほど」と収めてくれたのである。酔った勢いとは恐ろしいものである。調子に乗ってはいけないことを思い知らされた。あれから何度か飲んでいるが師匠とはあれ以来俳句の話をしたことがない。
                                 (平成29年作)
(注)茄子の花には無駄花がなく、必ず結実するという。

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新皇を今に称へし桜かな



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「一言神社」を出てその日最後に向かったのが「将門公苑」すなわち平将門が生まれ育った「豊田館址」である。今回、坂東の地を訪ねるきっかけとなった場所である。取引先の岡村製作所つくば事業所の場所にほど近い。時刻は1時半を回っており少し空腹を覚えていたが、公苑が分かりづらい場所にあるようにも書かれていたので、まずは探し当てようと先を急ぐことにした。結構な距離を走った。広大な畑が続いていた。この広い坂東の地を駆け抜ける将門の雄姿を想像しながら走っていた。
場所は意外と簡単に見つかった。「平将門公本拠豊田館跡」と書かれた碑が建っていた。その向かいには将門公のレリーフがあった。しかし一番凄かったのは「豊田館址と平将門公事蹟」と書かれた大きな顕彰碑である(写真)。
「随分と長い文章だなぁ」と思いながら読み始めた。読みながら驚いていた。これは単に史跡を解説したものではない。本当に平将門のことを慕い、郷土の誇りと思いながら描いた一代記である。碑の大きさもさることながら、その切々とした文章に胸打たれるものがあった。民衆と共にこの地を開拓した英雄「平将門」への讃歌が綴られていた。

この文章を読みながら考えていたことがあった。実は海音寺潮五郎「平将門」3巻、文庫本1847ページを一気に読んだのだが、最後の辺りにある「勝風負風」の章を読めずにいたのである。これは将門が最後の戦いに臨み、討ち取られる場面を描いた章である。一番大切な場面なので本来はしっかり読まなくてはならないところなのだが、描かれた将門像に肩入れし過ぎたためか、悲しくて読めないのである。次の章「流人」、最後の章「祟り」は平然と読めたのだが、この章だけは読みたくないのである。ペラペラとページを捲り、書かれている内容の把握をしただけで次の「流人」へと進んでしまった。吉川英治「平の将門」で同じシーンを読んでいるので、あえて悲しい場面を読む必要はないと自分に言い聞かせたようである。1847ページの中の最も重要な最後の30ページを読まないで終わる私の将門への想いをこの顕彰碑を読みながら思い出していたのである。

帰りの道を走りながら「坂東太郎」を探していた。「この地に来た限りは坂東太郎だろう」と勝手に決めていた。お腹が空いていた。「そういえば将門煎餅というのがあったなぁ」などとお土産のことも考えたが、事前に場所も確かめずに来てしまったので売っている場所はとうに過ぎていた。道は谷和原インターに向かって進んでいたが、途中からいつも得意先に行った帰りに通る道を走っていた。3時を過ぎているためか、いくつかの店が看板を下ろしていた。坂東太郎は見当たらない。最終的に入った店はいつも営業担当と一緒に入るラーメン屋である。この広い坂東の地を走り、新しい発見を求めた旅の最後がいつものラーメン屋である。我ながら呆れてしまった。旅は計画的であるべきである。
「何にいたしますか?」と聞かれ、これまたいつもと同じラーメンを選んでしまったのだから笑うしかない。
                                 (平成29年作)

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ルピナス

ルピナスや異国に馳せる夢ひとつ



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シャンソン歌手という言葉は聞いたことがあるが、タンゴ歌手というのはあまり聞いたことがない。倫理法人会が新横浜のホテルで行なった講演会のゲストがタンゴ歌手の香坂優さんだった。別の誰れかが講演したあとでタンゴでも歌うのかなぁなどと勝手に考えて出掛けたのが、何と何と香坂さんご本人が講話し最後にタンゴを歌ったのである。しかもその話の素晴らしかったこと。会場にいた250名は水を打ったように聞き入り、絶妙な語り口に泣かされたり笑わされたりと感動の時間を過ごさせてもらったのである。

話は今から30年前の淡谷のり子さんとの出会いから始まった。初対面同士で行なうジョイントディナーショーである。下手な歌手に対し「あれは歌手ではなく、カスだ」などと言い放つ人である。緊張したことは言うまでもない。しかも会場に到着すると淡谷さんはすでに来ていてリハーサルの真っ只中。大先輩に先を越されてハナから出遅れる。「気が散るので出て行きなさい」と言われた所からお付き合いが始まったというのだから、この話面白くならない訳がない。
「あなたはあと何年、歌っていたいの?」と聞かれ「先生と同じ年になるまで」と答えると「それならその歌い方では駄目。きちんとボイストレーニングしなさい」とアドバイスされる。トレーナーを紹介され、通うこと2年。その後、彼女の前で歌うと「あなたの声はシャンソンでもカンツォーネでもないわねぇ。そうねぇ、タンゴがいいわ。タンゴをやりなさい。やらないのだったら歌手を辞めて再婚でもしなさい」と決め付けられたそうである。「ちょうど5か月後にアルゼンチンのコルドバで音楽祭があるから行きなさい。今からスペイン語でタンゴを7曲覚えて歌ってきなさい。それ位出来ないようじゃ、歌手はやめたほうがいいわねぇ」と追い込んで来る。その後何度となくアルゼンチンに通い、ようやくタンゴ歌手としての道を歩み始め、成功を収め今に至るのである。
話のあと、何曲か歌った。大いなる拍手である。話に感動し、歌に聞き惚れたものである。

終演後、私は著作本を買いサインをしてもらった。感動させてもらったのだから当然である。それを横で見ていた友人の三宅さんが笑いながら混ぜ返してくる。
「話は面白かったけれど、歌は日向さんの方が上手かったなぁ。日向さんが歌う『霧子のタンゴ』には敵いませんよ(笑)」
「何を言っているのかねぇ、この人は……」
と言いながらも、それから二人でボイストレーニングに向かったのだから、これまたよく分からない話になってくる。
                                 (平成29年作)

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草青む

誘はるるままに道草草青む



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帰りがけに村井さんが、その近くにある「蓑虫庵」のことを話し始めた。素晴らしい所なので是非寄って行って欲しいという。門人服部土芳が建てた庵だという。
「野ざらし紀行で芭蕉が伊賀に戻った時、たまたま土芳は仕事で須磨の方へ行っていました。土芳は藤堂藩に勤めていた侍です。芭蕉より13才年下で、芭蕉が29才で江戸へ出て行く時、土芳は16才でした。幼い頃に芭蕉から俳諧を学び、とても慕っていたようです。戻った時にはすでに芭蕉は旅に出ていました。どうしても会いたかった土芳はそのあとを追ったのです。滋賀県の水口まで追い掛けてようやく再会します。実に20年ぶりの再会でした。それを機に土芳は侍を辞め、芭蕉の弟子として俳句の道を選びます。芭蕉の死後、三冊子などをまとめたのが土芳です」
村井さんの説明はとても熱かった。3時までに友人の会社に行かなければならなかったが、断れるものではない。
私「よし、タクシーを呼ぼう」
村井さん「ありがとうございます。向こう(蓑虫庵)には連絡しておきます」

家に帰って調べてみたのだが「芭蕉紀行文集」の中に紀行旅程表というのがあり、芭蕉の足取りが分かるようになっている。都合5回、故郷に戻ったことが分かる。「野ざらし紀行」の中に、貞享元年(1684年)9月8日、伊賀上野に到着とあり、同年12月25日に伊賀上野に帰り越年とある。翌2年の3月中旬、水口の駅で土芳に逢い数日滞在とあった。これである。本文は至って簡単で「水口にて二十年を経て、故人に逢ふ」の前書きのあと「命二つの中に生たる櫻哉」の句が書かれている。脚注に「故人とは昔馴染みのことをいい、同郷の門人服部土芳をさす」とある。
呼んだタクシーはすぐに到着した。村井さんにお礼を言い、乗り込んだ。
私「時間は大丈夫か?」
工場長「ギリギリですが大丈夫です。これも旅の素晴らしさでしょう(笑)」
                                 (平成29年作)

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