植物 - ひこばえ
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ひこばえ


植物 カテゴリーの記事

赤まんま

豊受の神の御前赤まんま



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何百段あるか数え切れなかった石段の先に、絢爛豪華な唐破風作りの社殿が見えてきた。
「おー、立派だなぁ!」
最後の石段の手前で、ベンチに腰を掛けお茶を飲みながら見上げていた。
紀元前91年というから創建2100年以上の神社である。どうしてこんなに立派なのだろう。講碑といい改修工事といい財政の豊かさ、神社の隆盛が分かる。御利益間違いなしという神社のようである。脇に宝物殿があり国宝の鎧などが展示されているようだったが、そこには入らずに外観を眺めるだけにした。
犬を連れた人を何人も見かけた。以前、筑波山に登った時も「こんな山の上まで犬コロを連れて来て」という会話があったが、この神社も意外と犬連れが多いようである。犬に纏わる謂れもあるのだが、まだその時点では分かってはいない。
「菊の御紋」のあしらわれた賽銭箱を前に、「御嶽山」の扁額を掲げた立派な拝殿にお参りした。「なぜ、ここに菊の御紋?」調べてみると明治に入り皇居の西の守り神と認められ、使用が許されたとある。その横を抜けて本殿のほうへと向かった。本殿は塀越しに仰ぐだけだったが、その先には夥しい数の摂社、末社が並んでいた。八幡社、八雲社、月乃社、八神社、春日社、座摩社、國造社と切りがない。その奥に天照大御神と豊受大御神を祀った神明社があった。また、菅原道真公を祀った北野社もあり、まさにオンパレードである。大口真神社というのが一番奥にあった。立看板に謂れが書かれていた。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、御岳山の山中にて狼に難を救われ、その際「この山に留まり、地を守れ」と命じたとのこと。以来「おいぬさま」と崇められ、病魔、盗難、火難除けなどの神として関東一円の信仰を集めているとのこと。「狼ジャン。犬じゃないジャン」と言いたいところだが、調べている余裕はない。その他にも徳川家康公を祀った東照社やイザナギ、イザナミを祀った二柱社などもあり、その多さには驚かされたものである。御岳山山頂929メートルから奥宮を遥拝してから戻ってきた。
神符授与所で「御嶽菅笠」という絵入りの草紙が売られていた(写真)。500円。面白そうなので買ってみた。江戸も後期の天保4年(1833年)、四ツ谷から御岳山までの参拝の様子を綴った道中記である。家に帰って読んでみたのだが、なかなか面白い。五七調で書かれているのが楽しい。「御嶽(みたけ)のみちの行程(ゆくほど)は、娘盛りの十六里、時得て咲(さく)や江戸の花」といった具合である。崩し字の練習にもなろうかと休みのたびに眺めているが、挿絵も面白く、200年前をのんびりと旅しているような気分である。
                                 (平成29年作)

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蓮華升麻

師を恋へば蓮華升麻の花盛り



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翌朝、早めに宿を出て御岳山の上り口のケーブルカー乗り場へ向かった。駐車場が心配だったが空いていた。靴を登山靴に履き替えて、リュックを背負った。
「あれっ、俺のストックは?」
「いらないと言ったでしょ。家に置いて来たわよ」
「え~、いらないなんて言ったっけ?」
「自分の発言には責任を持ってください」
「……」
ケーブルカーで上り、まずは群生しているというレンゲショウマを観に行くことにした。一緒にケーブルカーを降りた人達は違う方向に歩いて行くが、きっと花に興味がないのだろう。駅でもらったパンフレットに書かれている群生地の方へ向かって歩いて行った。いきなり上りである。本当に間違いないのだろうかと思ったが、少し上り始めるとレンゲショウマが見えてきた。
「おお、これがレンゲショウマか。道川先生が一度は見ておけと言っていた花なのだ。可憐な花だなぁ」
斜面一杯に咲いている。今週で終わりと書いていた情報は間違いだったようである。今を盛りのように咲いていた。花を見ながら上がって行くとリフト乗り場が見えてきた。券を買う時にこのリフト代もセットになった料金を支払っていたのである。
「みんな違う方向に歩いて行ったのは、このリフトに乗るためだったのだ。いやぁ、乗り損ねたなぁ」
「帰りに乗ればいいじゃない。登山の後は足が疲れているから、きっと楽チンだよ」
「そうするか」
レンゲショウマを見終わったあと、すぐ傍にあった源頼朝の創建によるという「産安社」なるお社にお参りし夫婦杉などを渡ってみた。二叉に分かれた杉の間を手をつないで抜けると夫婦円満になるという(写真)。何年振りかで手をつないだ。妙に嬉しい。これからも仲良しでいたいと思った。その先にあった展望台で関東方面を見下ろしながら一休みして、武蔵御嶽神社に向かうことにした。標高929mの御岳山山頂に鎮座している神社である。
                                 (平成29年作)

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秋草

秋草を活けて主を待つごとし



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朝の勉強会を終えて自宅に戻ったのが9時半だった。10時半に来客があったので家を出たのは11時15分である。カーナビに目的地の宿を登録すると100㎞、所要時間2時間と出た。どこかで昼食を摂り、早めに宿に着いて邯鄲を探そうということになった。前日の朝に思い立ち、宿を取り、早朝勉強会を終えて2時間を走る。思い付きとはいえ結構な行動力である。好きなことには一生懸命になるタイプなのである(笑)。
保土ヶ谷バイパスから東名高速に入り、圏央道で奥多摩方面へと向かった。土曜日なので渋滞を覚悟したが意外とスイスイと走ることが出来た。日ノ出インターで高速道路を下り、一般道に入った。細い道である。山道と言っていいかも知れない。カーナビは間違わないだろうと信じて走って行くと「日の出山荘」の看板が出た。
「何だっけ、日の出山荘って?」
「中曽根総理の別荘でしょ。レーガン大統領と会談した場所だよ」
即答である。群馬県出身の妻にとって総理大臣の多さは誇りである。4人もいる。取り分け「大勲位」の称号を持つ中曽根康弘総理には思い入れが強いのかも知れない。
脇道に矢印が出て山荘を指している。聞くまでもなく矢印の方へと車を進めた。中が見られるかどうかは分からないが、もし駄目でも外観だけは見てこようと思ったのである。駐車場に停めて坂道を上り始めた。「秋日和だなぁ」と思った。天気も良く、風もなく、爽やかな山の景である。受付に女性がいた。
「いらっしゃいませ。大人の方お二人でよろしいでしょうか?」
「子供二人には見えないと思いますが……(笑)」
「まぁ(笑)」

昭和58年11月11日、アメリカ合衆国レーガン大統領をお迎えし日米首脳会談がこの地で行われた。囲炉裏端でお茶を点てている中曽根総理の姿が印象深い。青雲堂、天心亭、書院という建物を見て回り庭を歩いてみた。「中央政治の喧騒から離れ、沈思黙考、自らを見つめ直し、明日の英気を養った」とパンフレットに書かれていた。
出口でさっきの女性と話をした。
「先生はお見えになるのですか?」
「ここしばらくはお越しになっておりません。なにしろ、もう99才ですからねぇ。奥様を亡くされてからは一段と……」
「4、5年前になりますが、東京のミュージカル劇場で先生をお見かけしたことがあります。サウンド・オブ・ミュージックをご覧になっていましたが素晴らしいですよね。感性豊かな方なんですね」
「その時は車椅子でしたか?」
「いいえ、普通に歩いていましたよ」
「先日の白寿のお祝いの席ではご挨拶の時にはお立ちになりましたが、あとは車椅子でした。いつまでもお元気でいられることを願っているんですよ」
女性に見送られて外に出たが、とても良い場所に立ち寄ることが出来たと旅の幸先の良さを思った。
                                 (平成29年作)

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早桃

南国や伏目勝ちなる早桃売り



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翌朝も早く起き出してホテルの周りを歩きフォーを食べさせてくれる店に入ってみたりした。10時と少し遅めの時間にバスが迎えに来て、ホーチミン廟や一柱寺などの観光地を見て回った。昼もベトナム料理である。ハノイばかりでなくサイゴンビールなども飲んでみた。4人の会話もおよそ慣れてきて、先生を除く3人で普通に盛り上がりを見せてきた。
昼食後は4時間掛けてハロン湾に移動である。一杯飲んだ後なのでグッスリと眠ると思っていたが一向に眠くならない。あれこれとハンさんと話しながらベトナムの知識を蓄えていく。
「ベトナムの米作はタイに続く第2位となっています。主要産業です。年2回作っていますが3回作っている所もあります。コーヒーは輸出量世界1位です。」
「えっ、コーヒーはブラジルでしょ」
「いえいえ、お父さん、違いますよ。ベトナムが1位になっています。今とても力を入れています。設備投資をしたり、技術改良したりしてブラジルを抜きました」
ハンさんの国を思う気持ちは半端ではない。
「今、ベトナムには地下鉄がありません。だからバイクに乗るのです。しかし2030年に地下鉄が走ります。地下鉄が出来たらバイクは減ります。大きく環境が変わり国はますます成長します」
道端に何か果物を売っているのが見えた。
「あれは何ですか?」
「桃です。あの桃は食べてはいけません。全部、中国産です。あの桃は2、3ヶ月腐りません。炎天下の道端で売っていても、いつまでも色は変わりません。とても綺麗に見えますが恐ろしい食べ物です。凄い農薬や防腐剤、化学肥料を使って作っていますので、食べて10年もしたら確実にガンになります。中国産は恐ろしい。何でもお金になればいいと考える人達です」
「ヒエー、桃は不老長寿の食べ物のはずですが……」
「桃が全部ダメな訳ではありません。ベトナムの桃は小さいけれど安心して食べられて、とても美味しい」
写真はその翌日、また同じ道を帰って来た時にわざわざ車を停めてもらって写したものである。こちらを見ている男性が身動きもせずにいるのが少し不気味に思えた。
                                 (平成29年作)

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竹散る

竹散るや武士は主君のために死す



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「三浦一族の衣笠城には、一族の大祖父と仰ぐ八十九歳の大介義明も立て籠っていたが、砦の運命も、早これまでと迫った日、子や孫を集めていうには、
(古巣の城は焼け落ちてしまう。かえってお前たちの為だ。広い世の中へ、各々、力いっぱいの巣立ちをせよ。―――この義明は、累代源氏の御家人と生れ、八十余歳まで生きのびた効いあって、今、佐殿の旗挙げを見た欣しさ。
……これで死んでもいい。落城の火の粉は、孫や子たちの出世の種蒔じゃ。こんなよい往生があるものか)
そして、去りがての孫や子たちが、落ちてゆくのを見届けてから、八十九歳の老将は、華々しく戦死した」
(吉川英治著「源頼朝」より)

大善寺を出て車で5分ほどの「満昌寺」(横須賀市大矢部)へ向かった。この寺は建久5年(1194年)源頼朝が三浦大介義明追善のために創建したものである。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に三浦一族が果たした役割は大きい。「平家の世はもう長くはありません。起つなら今でございます、佐殿」と決起を促したのは都帰りに伊豆へ立ち寄った三浦義澄(義明の次男)と千葉胤頼である。「頼朝の決心が最終的に決まったのは実にこの時ではないかと想像している」と永井路子氏は「源頼朝の世界」の中に書いている。伊豆の目代山木兼隆を襲い、三浦の本拠地に近い鎌倉を目指すという作戦。大庭景親を総大将とする平家側と石橋山で対決し惨敗を喫するが、すぐさま千葉へと移り再起を図り鎌倉入りを果たす。全ては三浦一族なしでは出来なかった快挙である。衣笠合戦で命を落とした三浦義明に対する頼朝の思いがどれほどのものであったかは想像するまでもないことである。鎌倉政権樹立の立役者なのである。

境内には「頼朝公お手植えの躑躅」が植えられていた。御開帳の寺ではあるが、朝が早すぎて誰も見当たらない。勝手に門から境内へと進み、本堂にお参りさせてもらい、左手奥にある義明公の御廟の方へと向かった。簡易的な門扉を開いて進むと、「羅漢さんの庭」なる看板が立てられていた。廟所に至る石段の横に33体の羅漢像が並べられていて、「皆さまと似た顔があるかもしれません」などと書かれている。「いろんな物を作るもんだなぁ」と思いながら石段を上っていった。御廟は崖の斜面に造られているように見えた。写真を撮ろうとしても後ろは崖になっていて下がることさえ出来ない。墓を囲む塀は立派なものだが、如何せん狭さを感じた。背後の山に植えられた竹から頻りに落葉が降っていた。立役者の墓にしてはと思ったが、前日に見た頼朝の墓を思い出し、墓は大小ではないと思い直すことにした。まずは深くお参りし、心に刻んで石段を下りてきた。そのあと、近くの史跡を見て回ったがそれほどのものではない。私のゴールデンウィークは実にこの2日間で終わったようなものである。
                                 (平成29年作)

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