ひこばえ
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月影

月影や添へぬ恨みのおわら節



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演舞場には1時間ほどいて「町流し」を見に行った。これを見なければ来た甲斐がないというものである。雨は完全に上がっていた。坂を上った辺りには出店があり、飲んだり食べたりしている人がいた。他のお祭の夜店と変わりない。
私「何か、飲む?」
妻「いい。大丈夫」
この「おわら風の盆」は私の強っての願いで実現した。妻が見たくて来た訳ではないので、彼女が気に入ったかどうかは気になるところである。「盆踊り?興味ないかなぁ(笑)」と言っていたのを覚えていて気になっていた。
通りに出てここが何町なのか分からない。11もある町の名前を覚えてはいない。それでも歩いていればどこかの「町流し」に出会うはずである。
すぐに人が集まっている場所を見つけた。「町流し」に違いない。しかし近づいて行っても歌や鳴物の音が聞こえては来ない。ようやく人の背中越しに町流しの姿を確認した。しかし音は聞こえない。ああそうか、小説の中にも書いてあった。<遠くから見ると無音の踊りの姿しか見えず、近づいて来るに従って歌が聞こえて来る>と。マイクなど使っていないので、近くに行かなければ音は聞こえて来ないのだ。先回りすることにした。地図に書かれた道を迂回して、踊りの正面で待ち受けることにした。踊りの列を先導して通路を確保するように係の人が誘導している。カメラを構えてより良い場所を占めようとする人に向かって「下がってください」と頼んでいる。踊りの先頭が見えてどんどんこちらに向かって近づいて来るのだが、その時でも自分の居場所が確保できないでいる。強引に場所を取ろうものなら演舞場の団体客と同じ轍を踏むことになる。前の人の肩越しに横の人に押されながら通り過ぎる「町流し」を眺めていた。
行き過ぎるのを待って次の「町流し」を求めて歩き始めた。しばらくするとすぐにまた出会った。しかしまた道は塞がれている。踊りを見ようにも人、人、人である。「27万人を連れて帰ってよ」と言った人の気持ちが分かるような気がした。諏訪町と西町、それに鏡町の「輪踊り」を見て集合場所の駐車場に向かった。虫が鳴く川沿いの道は暗く、人が溢れ返った本通りよりもなぜか「風の盆」らしさを感じてしまったものである。

小説「風の盆恋歌」に描かれていた無音の踊りのシーンを書いておこう。それこそが見るべき「風の盆」なのかも知れないと帰りのバスの中で思っていた。
『足音のない踊りは、灯の数が少なくなった町筋を影絵の動きを思わせながら進んで行く。
(中略)その位置からは、胡弓の音も歌の音もなく、二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。どこかに操る糸があって、人形の列を思いのままに動かしているように見えた。
「あなた、これは、……ねえ、この世のものなの」
(中略)踊りが近づいて来る。胡弓の音が耳に入り、歌が聞こえ始めた。踊り手たちは目深にかぶった笠の下で、ひたとやや斜め下を見つめながら、漂いつつ二人の前をすぎて行った。』
                                 (平成30年作)




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風の盆

糸車回るやおわら風の盆



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夕食を終え30分程で八尾に到着した。大型駐車場で我々を降ろしてバスは別の場所に移動した。広場で帰りのルールを説明され、最初に向かう演舞場までを添乗員さんと共に歩くことになった。禅寺橋を渡り、写真でよく見る石垣の坂を上り、町中へと入って行った。演舞場での開演時間まで1時間以上あったので他の方々と別れて歩くことにした。地図を見ながらのそぞろ歩きである。雨は上がっていて気温もちょうど良い。大勢の観光客に流されるようになりながら見て回った。町流しはまだ始まっていない。
夕方ではあるがまだ日は落ちていない。所々の行燈が灯され、これから徐々にその数を増していくところである。通りの様子を写真に収めたいと思ったが、如何せん人の多さが邪魔をする。3日間で30万人の人出と言うのだから、人のいない場所などあるはずがない。人の流れに流されながら諏訪町本通りを歩き(写真)情緒豊かな格子戸の家や蔵などを見て回った。時折、奥から三味線の音が聞こえて来たりしている。小説の中で中出えり子が植えさせたという酔芙蓉の鉢を玄関先に置いている家が何軒かあった。お土産屋に立ち寄ったり、店先で休憩させてもらっているうちに演舞場での開演時間が近づいてきた。とっぷりと日も暮れてきた。

坂を下った会場の入り口で添乗員さんが待っていてくれた。人数の確認をしているようだった。いつも思うことだが、人が楽しんでいる間、気遣いばかりしているのだから大変な仕事である。上手くいって当たり前、トラブルでも起きようものなら何を言われるか分からないのだから私などには到底務まる仕事ではない。
演舞場は小学校のグラウンドにステージを設けた特設会場である。前にパイプ椅子を並べ、番号が振られていた。何百席あるか数えられたものではない。大勢が座って開演を待っていた。我々の席は前の方だったが、少し端の方である。舞台を45度の方向から見上げるような位置である。私の前の席がたくさん空いていた。そこを予約した団体客がまだ到着していないのだった。お陰でとても見やすかったのだが、始まってしばらくして到着した。バラバラと座り始めた。自分達の席を探そうと腰を屈めるでもなくウロウロして後ろにいる人達を気遣う様子もない。哀愁漂う「おわら節」に合わせ、艶やかな踊りが繰り広げられている舞台の下で、場所を探してワーワーやっている団体客である。「こっちだよ。こっち、こっち」と手招きなどして遠慮がない。席に着くまでのことではあるが、30万人もいれば中にはこんな人達がいても不思議はないよなぁと思って眺めていた。
(注)八尾町は昭和初期まで養蚕業で栄えた町である。糸車との関わりは深い。
                                 (平成30年作)




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八朔

八朔や祝ひ膳とて鯛も出て



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その日の降水確率は80%である。気象レーダーで見ると富山の辺りには雷雲が懸っていた。最初に向かう演舞場とやらは雨天決行だというが、その場合でも傘は差せず合羽を着ての観賞になるという。絶対に見たいと思っている町中を踊りながら進む「町歩き」は雨なら中止だという。日は1ヵ月も前に決めていたので、こればかりはどうしようもない。星空観察ではないが、またまた僥倖を待つしかない。本を読みながら時々眺める外の景色は雨に滲んでいた。しかし日本海側に出て休憩に下りたドライブインでは雨が上がっていた。
私「天気予報の80%って何だったんだろう?」
妻「まだ分からないわよ。行ってみなくちゃ」
松尾芭蕉の「早稲の香や分け入る右は有磯海」の句碑が建っていた。
夕食会場はおわら風の盆が行なわれる八尾町の少し手前の料理屋だった。午後4時の夕食である。風の盆を見た後、夜遅くにホテルに到着するので夕食は早目に済ませることになっていた。立派なお膳が並べられ鯛1匹のお造りも添えられていた(写真)。誰かが「何かのお祝いみたいだなぁ」と言っていた。一杯飲めと言わんばかりの料理である。飲み物は自己負担だというのでお銚子を頼むことにした。参加人員18名だが、お燗を頼んだのは私だけである。
「お姐さん、お銚子は何合なの?」
「1合です」
「じゃ、2本持ってきて。お燗して」

二百十日の前後は台風到来の時節である。収穫前の稲が風の被害に遭わないように祈願をし、豊作を祈るのが「おわら風の盆」の起源のようである。バスの出発時間は確認していたので大丈夫なのだが、みなさんは次々と食べ終わると外へ出て行った。女中さんが気を使って「ゆっくり召し上がってください」と言ってくれるものの、妻も先に出てしまったので一人だけ取り残されることになってしまった。飲めばどうしても長っ尻(ながっちり)になる。
「悪いですね。一人だけで……」
「構いませんよ。まだ時間はたっぷりありますから(笑)」
「それにしても一人に鯛一匹とは豪華ですね」
「いえいえ、これは鯛ではなく赤鯛なんです。氷見の赤鯛と言います」
「あっ、鯛じゃないんですか。真鯛だとばっかり思ってた。見栄えは最高ですよね」
「見た目もいいですが、味もいいですよ」
「みんな鯛だと思って食べてましたよ。美味しかったです(笑)。天気は大丈夫ですかね?」
「一時降っていたようですが、八尾の方は今は上がっているようですよ。この2、3日、雨ばかり降っていたので今日あたりはいいんじゃないですか。折角来て雨じゃ可哀相ですからねぇ」
                                 (平成30年作)




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二百十日

越中に二百十日の八尾あり



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7月初め頃の会話である。
妻「貴方、前から『風の盆』を見たいって言ってたわよね」
私「そりゃ見たいさ。でも、あれは日が決まってたんじゃなかったかなぁ?平日とか」
妻「9月1日から3日まで。今年は土日よ」
私「おっ、土日、いいねぇ。行きたい。行こうよ」
妻「八ヶ岳から帰ったその3週間あとだけど……」
私「いいよ、行こうよ。一度見てみたかったんだ。富山だよね。行こう、行こう」

手帳に書き入れたまではよかったがそれっきり忘れていた。バスで出掛けて帰りは新幹線ということは覚えていたが、詳しく「風の盆」のことを調べたりはしていなかった。行く間際になって大急ぎで調べ始めた。辿り着いたのが高橋治著「風の盆恋歌」である。さっそくアマゾンで注文した。「風の盆」にとってこの小説が果たした役割は大きい。それまで3万人だった観光客が小説が発表されテレビドラマ化され注目を浴びて30万人まで膨れ上がったのである。「あなたのお陰で30万人にもなってしまったんだから27万人を連れて帰ってよと言われた」とどこかの文章に書かれていた。本が届いたのが出発前日である。始めのあたりを少し読んで、あとは行きのバスの中で読んでいくことにした。泥縄式とはこのことをいう。
八ヶ岳の時と同じ旅行会社だった。東京駅集合も同じである。行くとバスが停まっていた。
私「あれっ、同じバスじゃない?」
妻「あっ、ホントだ(笑)」
さすがに添乗員さんは違っていたが、バスの運転手とガイドさんは同じ人だった。
私「先日はどうも(笑)」
ガイドさん「あらっ、この間はお世話になりました。また御一緒させていただきます。よろしくお願いいたします」
私「こちらこそ、よろしくお願いします。あのォ、旅行ばかりしている訳じゃありませんからね。ちゃんと仕事もしてますから(笑)」
ガイドさん「大丈夫ですよ。よく分かっています。勉強熱心なことも分かっていますから(笑)」

本は車中で読み終えた。不倫が美しく描かれていた。主人公と相手の女性が二人とも死んでしまうという結末はどうかと思ったが、実際の「風の盆」を見ていないのだから何とも言えない。死を彷彿とさせる踊りなのかも知れないと思い、ますます「風の盆」への期待が膨らんでいく。
                                 (平成30年作)




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秋晴れ

秋晴れやあの山頂にいざ立たむ



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思い立ったが吉日である。早朝ウォーキングも1週間続いて山登りの本も買って来た。まずは行く日を決めなければならない。今回、妻の不参加は決定的である。
<よし、一人でも行こう!>
本の情報によると10月中旬までが最適な時期のようである。
<それを過ぎると寒くなるということだろうか?>
よく分からないがそのギリギリの10月13日(土)に行くことに決めた。泊まる場所は「行者小屋」か「赤岳展望荘」のどちらかのようである。1時間ほど離れていて、山頂に近いのが展望荘である。初日に1時間余計に歩くか、翌日にするかの違いである。会社に詳しいのが一人いるので聞きに行った。井手君という。
私「山小屋を予約するんだけど、どんな感じなの?」
井手君「私が泊まったのは大部屋でゴロ寝でした。布団1枚敷いてあって寝るだけでした」
私「寒そうだねぇ。どっちに泊まったの?」
井手君「私は赤岳展望荘です。初めに行った所が満杯で『上に行ってみろ』と言われて行ったら空いていました」
私「そこも一杯だったとしたら野宿か?」
井手君「そんなことはないですよ。なんとか泊めてくれると思いますよ」
私「結構いい加減だなぁ(笑)。予約して行かなかったんだ?」
井手君「は、はい。あまり予約とかはしません」
井手君はベテランである。会社が休みのたびにどこかの山に登りに行っている。筑波山も鍋割山も彼に聞いてから出掛けている。
私「赤岳は体力的にはどうなの?筑波山や鍋割山に比べてキツイの?」
井手君「あそこはガレ場とかありますので歩きにくい所もありますが、鍋割山を登ったんですから大丈夫ですよ。私はそのコースじゃないコースを歩いていますのでハッキリは分かりませんが大丈夫だと思いますよ」
私「そうか、大丈夫か。行くまでにもう少し足腰を鍛えておくよ」
井手君「社長、あんまり無理しないでくださいよ。特に天候にはよく注意してください。予報を見てあまり天気が良くなさそうな時は中止した方がいいですよ」
私「分かってる、分かってる、大丈夫だよ」
井手君「無理して出掛けるのが一番良くないですから……」
私「オッケー、オッケー、大丈夫だって」
さっそく山小屋にメールで「個室、朝夕2食付」を申し込んだ。8月29日のことである。
                                 (平成30年作)




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