ひこばえ
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卯波

卯波寄す小舟の舫ふ和賀江島



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次に向かったのが材木座の光明寺である。治承4年(1180年)8月17日、源頼朝挙兵に駆けつけた三浦勢は台風の大水のため酒匂川の手前で撤退を余儀なくされる。頼朝が「石橋山の戦い」に敗退したとの報に接しつつ戻る途中、由比ヶ浜で敵方と出会ってしまう。小争いが始まり小坪峠に布陣、両者とも痛手を負うことになる。
「光明寺の裏山から小坪6丁目に抜ける道に小坪峠がある」と資料に書かれていたので行ってみることにした。光明寺はとても大きな寺だった。想像以上の大きさである。そこから裏山に抜ける道があるはずである。寺の右手に回ってみたが行き止まり。戻って左手に回り山を上って見たが、これも行き止まりである。「裏山から抜ける道」とはどこなのだろう。裏山に辿り着けない。探し切れずに諦めることにした。
次はすぐ傍の住吉城址である。カーナビに住吉城跡と入れても該当がないので、その近くにある正覚寺を入れてみた。すると「トンネル上に目的地を設定しますか?」と問うてきた。「はい」か「いいえ」である。「トンネルの上」の反対は「トンネルの中」しかないだろう。中に設定する人がいるだろうか。もちろん「はい」と答えた。道案内が表示されたので走り始めた。500メートルほどの距離である。トンネルの手前の道を指定してくる。しかし、そこには「この先、行き止まり」の札が立てられていた。「違うな」と思った。すなわち、曲らずにトンネル内に進み小坪マリーナの中に入ってしまった。「おかしいなぁ」と思った。車を停めて考えた。「トンネルの上」が駄目なのかも知れない。しかし、そもそも行きたい場所は正覚寺ではなく住吉城址である。近くにいた女性に聞いてみた。
「この山の上に城址があるはずなのですが、入口を知らないでしょうか?」
すると右手の道を指して、この先に入口があると教えてくれた。ナビより人に聞いた方が早い。トンネルの手前の空き地に停めて探すと「住吉城址」と書かれた小さな看板を見つけた。矢印に従って細い階段を上り始めた。すぐに次の看板が現れた。「ここは立入禁止(私有地)」「住吉隧道(トンネル)を下り公園上の白い建物付近一帯です」と書かれている。親切な看板だと思った。間違って私有地に入ってしまう人がいるに違いない。大助かりである。急坂を上り、隧道に到着、中を通って反対側に出た。しかし、あるはずの公園がない。白い建物も見当たらない。道を真っ直ぐに進み下りて行った。相模湾が見えるのでそのまま行くと海岸に着いてしまいそうである。城は山の上のはずなので間違っているようである。来た道を戻り、またトンネルの場所に戻った。左手に人の家のようだが広場のようにも見えるので入ってみることにした。朝なので誰もいない。上って行くと廃屋のような家があった。白い。これだろうか。この空き地を公園というのだろうか。写真はその空き地の崖っぷちから写した相模湾である。和賀江島が見える。
車に戻った。住吉城址は分からない。仕方がないので先程「行き止まり」と書かれた正覚寺の道に入ってみることにした。また元の道を戻る。道は細かった。擦りそうな場所もあった。突き当りに正覚寺があった。車を降りて寺の脇道を上り始めた。城は上にあるはずである。しばらくすると「あれっ?」と思った。見覚えのある場所なのである。
「あっ、さっきトンネルを出て下りてきた場所だ」
同じ山を違う方向から2回上ったことになる。しかも城址が見つからない。「フー」と大きく溜息を吐いた。
「今日は止めておこう。ここはまたの機会にしよう」
足がパンパンである。戻って車の中でしばらく休むことにした。
                                 (平成29年作)

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樟落葉

裏山の小さきやぐらや樟落葉



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出掛けに少しまごついたので鎌倉の白旗神社に着いたのは5時10分だった。家から30分の距離である。
ここは宝治元年(1247年)三浦氏が北条勢と戦い、一族郎党五百余名が切腹して果てた法華堂のあった場所である。
神社にお参りし、その横の石段を上り源頼朝の墓を訪ねた。ここに来たのは何時だったろう。思い出そうとしても思い出せない。35年位前だったような気もする。誰と来たのだろう。随分と年を重ねたものである。いつでも来られる場所に住みながら35年の月日を何をして過ごしていたのだろう。来し方を振り返り少し感傷的になった。
墓の右側に岩場の登り道がある。足場を求めて一歩ずつ上がると山腹の細道に出る。右側が崖となって落ち込んでいるので気を付けながら行くと玉垣に囲まれた立派な三つの墓の前に出た。島津と毛利の墓である。宝治合戦の際、両家の始祖だった者が源氏政権を乗っ取った北条氏に反発し、三浦氏に組して法華堂で自刃したのである。荒れていた墓を両家が整備したのは安政年間(1775年頃)のことである。
その墓の辺りを三浦一族の墓を求めてキョロキョロしたが一向に見当たらない。やむなく墓の前の石段を下り、鳥居をくぐったところで、先程歩いた山腹の崖の下に小さなやぐらがあるのを見つけた(写真)。第一印象は「いやに小さいなぁ」である。島津も毛利も頼朝の墓もきちんと整備されていたにもかかわらず、なぜ三浦一族の墓だけはやぐらの中なのだろうと思った。義明の墓も義村の墓も道寸の墓も立派に建てられたというのに一族の墓だけはそのままである。しばしその場で考えてみたが分かるものではない。疑問が解決出来ぬまま、次の目的地である材木座の来迎寺に向かうことにした。三浦義明の墓があるのである。
来迎寺の門は閉まっていた。まだ6時前である。駐車場にも入れないので道を塞がない程度に寄せて路上駐車をした。門は勝手に開けさせてもらって入ることにした。断わる相手もいない。誰もいない社務所の横を通り正面の本殿へと進んだ。すぐに墓は見つかった。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した寺である。しっかりお参りしたつもりではあるが、誰もいない寺の中というのは居心地が悪い。長居も出来そうにないし路上駐車も少し気になる。早々に立ち去ることになってしまい、何とも慌ただしい気がしたものである。
                                 (平成29年作)

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明易し

落武者となりし夢見て明易し



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会社に三浦半島の外れに住んでいる女性がいる。私が車で行くことを話すと「休日の道路はすごく混みますよ」と教えてくれた。家の前の道路が渋滞で動かなくなるという。そういう場合の彼女は家の裏側から地元の人しか知らない道を通って駅まで送ってもらうのだそうである。
「いろいろ回るのでしたら、車より自転車がお勧めです」
「なるほど、その手があったか」
ヘルメットを被って自転車で走っている人がいたことを思い出した。すぐにレンタルサイクルを探した。鎌倉にも逗子にもあった。「いいことを思い付いた」と思った。出掛ける前日の話である。結構、行き当りばったりなのである。
家に帰って、そのことを話すと家族から反対する意見が噴出した。
「危ないんじゃない?大丈夫?道も狭そうだし……」
「借りた場所にまた戻って行かなければならないというのも大変だよ」
「結構、上り下りがあるんじゃない?相当に体力を使うよ」
「それなりの準備も必要でしょ。着るものとか持ち物とか……」
急に自信がなくなってくる。言われると何でもそう思えてくる。
「自転車にはカーナビがないので、目的地を探すのにも苦労するんじゃない?」
決定的な一言となった。確かにお寺一つ探すのにも苦労しそうである。

結論は布団に入った時に思い付いた。
「よし、明日の朝、渋滞しないうちに車で全部回ってしまおう!」
スマホで日ノ出の時刻を確認した。4時48分とある。
「その時刻には三浦一族の墓の前にいるようにしよう!」
目覚ましを3時半に合わせて速攻寝た。寝起きもいいが寝付きもいいのである。
                                 (平成29年作)

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初夏

山越えていざ鎌倉へ初夏の旅



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いつものゴールデンウィークならとっくに計画を立てて旅館の手配も済ませているところだが、今回はなぜかボンヤリしていた。気が付いた時には宿に空きがないという状態である。
「これから探してどこか行くところがあるだろうか」
はじめは平将門を訪ねる旅を考えたのだが、性格がせっかちでゴールデンウィークまで待てずに出掛けてしまったのだから仕方ない。そこで考えたのが自宅から出掛けられる三浦半島探訪の旅である。三浦一族の歴史を調べ、ゆかりの場所を訪ねてみようと思ったのである。1ヵ月ほど掛けていろいろな本を読み、一族の歴史の概略を頭に入れて計画を立ててみた。読んだ本は次の通りである。永井路子「執念の家譜」中村豊郎「砕けて後は、もとの土くれ」伊東潤「疾き雲のごとく」司馬遼太郎「街道をゆく(三浦半島記)」等々。

三浦一族の始まりは平安時代中期に遡る。元々は桓武天皇のひ孫「高望王」を祖とする桓武平氏の武士であった。永承6年(1051年)奥州に起きた「前九年の役」で源頼義に従い参陣した平為通がその論功行賞で相模国三浦の地を与えられ、その時三浦為通と三浦姓を名乗ったのが始まりである。為通は衣笠城を築きそこを居城とした。以後一貫して源氏の郎党となり、やがて三浦義明の代となり勢力を拡大する。「保元平治の乱」や頼朝挙兵、平家追討、義経追討、そして奥州合戦には義明の子や孫達が参戦し鎌倉幕府樹立に貢献していく。鎌倉に近いという地の利を活かして頼朝の信頼厚く幕府に重きを成していく。源氏三代の時に一族は絶頂期を迎える。しかしその後、北条氏による有力御家人粛清の対象とされ、次々と一族が滅ぼされていく。宝治元年(1247年)の「宝治合戦」では一族全てが北条氏との戦いで滅ぼされる。一族の歴史はそこで一旦途絶えたかに見えたが、分家の佐原盛時だけが生き残る。一族でありながら北条側に加勢し、合戦ののち三浦介の名を継ぐことを許され三浦半島南部を領有したのである。鎌倉末期、南北朝、室町時代を足利、上杉などの郎党となりながら命脈を保ち、やがて三浦時高の代になり勢力を回復し三浦氏を再興する。しかし時高はその子道寸に討たれる。そして最後の戦いに臨む。永正13年(1516年)三浦一族最後の当主道寸は新井城に於いて北条早雲との最後の戦いに臨み一族は完全に滅亡する。宝治合戦より270年の後の出来事である。長い長い歴史を年譜にしながら、まずは鎌倉にある一族の墓を訪ねるところから始めることにした。
                                 (平成29年作)

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茄子の花

芸人に長き下積み茄子の花



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もう一人、当会の有名人のことを書いておこう。ビートきよし師匠である。昨年のモーニングセミナーで講演をしていただいたところ、すっかり会の趣旨に賛同してくれて入会までしていただき、たびたび飲み会などにも参加してくれているのである。今回の歓迎会にも来てくれて一言挨拶をしてもらったのである。
師匠とは忘れられない思い出がある。昨年暮れの事である。私の前で飲んでいて俳句の話になった。
師匠「この間、NHKの番組に出てよォ、山形まで行って最上川で船に乗ってきたんだよ。俳句の番組でよォ、そこで一句詠めって言うんだよなァ。結構、難しいもんだよ、あれは」
私「俳句は師匠が本当に考えたのですか?」
師匠「そりゃそうだよ。大変だったよ。紅葉の句を作ったんだけど頭使ったよ」
私「俳句はたった17文字ですが、なかなか難しいものです。自分でいいと思っても他人が読むと何を言っているのかサッパリ分からないというのもあります。大切なのは、誰が読んでもその情景がパッと目に浮かぶということです」
師匠「詳しいねぇ!」
私「俳句歴20年です。大体のことは分かります(笑)」
それからしばらく飲んでいたが、随分経ってから師匠がやおら舞台に上がってマイクを持って話し始めた。
師匠「いやぁ、この間のNHKの番組を見てくれた人がいるかどうかは分からないけど、俳句の番組で山形まで行ってきたわけよ。俳句っていうのは難しいねぇ。五七五しかないんだから。大変だよ。最上川に三難所という場所があってそこを船で下った時に作ったんだけど、今日はちょうど俳句の先生が来ているというので俺の俳句が良かったのかどうか聞いてみたいと思ってよ。なんたって作った俳句でどっちが上手いか対決することになっていて、相手の〇〇ちゃんとは引き分けということになったので、いいのか悪いのか分からないと来ているんだよ。詠んだ俳句を披露するので判定してもらいたいと思ってよ」
結構、お酒が入って上機嫌な私である。文字を見ないで読み上げた俳句にコメントするということになってしまった。その時の俳句を今ではすっかり忘れてしまったが「激流や……」で始まる句であったことは確かである。句はその激流に紅葉が映って美しかったというような内容だったと思う。酔っているというのは恐ろしいもので、師匠から振られた瞬間「駄目、駄目、全然駄目!」とやってしまったのである。今思い出しても冷や汗が出る。
私「激流や、ですよね。激流といえばラフティングをするような白波のイメージですよ。そこに美しい紅葉が映ったというんですか。映らないでしょう。白波に紅葉が映るっていうことは考えられない。紅葉が映るとしたら、流れの緩やかな瀞(とろ)のような場所ですよ。激流に映ることはないでしょう。激流と紅葉の組み合わせでしたら、飛沫(しぶき)に濡れる紅葉とか、散った紅葉が流れに散り込むとか。そのほうがイメージしやすい。まぁ、才能ありか無しかと言われれば、まずは凡人だなぁ……」
師匠「なるほど、俺も作っていて何か変だなぁと思っていたんだよなぁ……」
あとで考えると師匠には本当に大人の対応をしてもらったと感謝している。普通は頭から駄目と言われればカチンと来るものである。そこを「なるほど」と収めてくれたのである。酔った勢いとは恐ろしいものである。調子に乗ってはいけないことを思い知らされた。あれから何度か飲んでいるが師匠とはあれ以来俳句の話をしたことがない。
                                 (平成29年作)
(注)茄子の花には無駄花がなく、必ず結実するという。

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