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日向 亮司

Author:日向 亮司
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墓洗ふ

父母のため父母のせしまま墓洗ふ



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夏休みの8日間をどう過ごそうかと考えると<まずは高崎の墓参りに行かなければならない>となる。すると昨年の新田義貞、足利尊氏めぐりのことが思い出されて<よし、1泊で温泉に入ってこよう>となる。群馬の温泉となると十指に余る名湯揃いだが<昨年泊まった宿も良かったなぁ>ということになり<何という旅館だったっけ?>となる。いろいろと調べて宿のホームページに辿り着き、空き状況を見てみると8月13日(火)しか空いていないことが分かった。すぐに妻にメールした。
「墓参りに行こう。前回の温泉。13日しか空いていない。至急、お願い」
いつもならすぐに反応があるところだがなかなか返事が来ない。<どうしたのだろう?>しばらくして連絡が入った。娘も一緒に行くと言い出して、いろいろとやり取りしていたらしい。随分と時間が経過してからメールが届いた。
「予約完了」
念のため、メールを1つ入れておいた。
「朝は早いよ。行きたい所があるから。4時出発」

前日のニュースで関越自動車道の渋滞情報などが出ていて、早朝から混んでいるようなので<4時は絶対だなぁ>と思っていたが、やはり朝はドタバタとして30分遅れの4時半の出発となってしまった。<朝から渋滞はいやだなぁ>と思いつつ、コンビニに寄るなどしてスタートしたが走り始めると意外と順調である。カーナビによる到着予定時刻7時10分のところ、途中で休憩などしていたため7時半にお寺に到着した。順調である。お盆ということもあり、朝から何組もお参りに来ていた。墓を洗い花を供え、お参りした。思うことはいつも一緒である。大切な娘さん(妻のこと)を幸せにしているかどうかの報告である。<………>報告は長い(笑)。
お参りを終えて、いざ出発である。私が今回行きたいと考えていた場所は次の通りである。
① 足尾銅山を見学する
② 富弘美術館に行く
③ わたらせ鉄道に乗る
④ 田中正造記念館に行く
もちろん、城山三郎の「辛酸──田中正造と足尾鉱毒事件(角川文庫)」は1週間前ほどに読み終えている。初めての場所ばかりなので楽しみにしていた。
                                 (令和元年作)




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暴風津波

堤防を壊し暴風津波来る



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台風15号の影響が今なお続いている。千葉の市原市のニュースが大きく報じられたためか、私の会社のある横浜市金沢区の工業団地のことはあまり報道されていない。それでもあちこちから問い合わせの電話が入る。
「日向さん、台風の影響はどうでしたか?」
「ありがとう。幸いにも工場は大丈夫です。しかし周辺の会社は大変なようです」
台風が直撃したのは9月8日(日)深夜である。目が覚めると風も小止みになり、雨もそれほどでもなかったので、いつもより少し早めに家を出た位にしてノンビリと構えていた。車が工業団地の入口付近に着くといつもは混まない場所に車が並んでいた。しばらく待っていたが信号1つで車1台しか進まない。<何かあったな>と思い、違う道に回ってようやく会社の近くまで辿り着いた。あと少しで会社という場所に到達して立ち止まった。
<どうなっているのだろう?いつもなら次々と車が走っているはずの道なのに1台の車も走っていない>
不審に思いながらも進んでいくと道が冠水していて川のようになっている。
<ワワワ、ヤバイ、ヤバイ。浸水してしまう>
慌ててバックして戻った。どこに迂回しようかと海側の道に回ってみたが、道という道が全て冠水している。どっぷりと水に浸かって乗り捨てられている車もある。会社に電話してどの道を行けばいいかと聞くと山側だという。遠回りしながらもその通りに走ってようやく会社に辿り着いた。
まともに会社に到着した従業員は約半数である。渋滞で車が動かない。電車が止まっていて身動きが取れない。バスが来ないなどの連絡が入り、休みと決めた数名を除く全員が揃ったのが昼過ぎである。建物の一部に浸水した個所があったが何ほどのことでもない。いつも通りに仕事に取り掛かった。
しかし知らないところで事態は深刻になっていた。当社のすぐ近く、海側にある会社の社長から入った連絡では相当のダメージを受けているという。
「1階にあった機械や製品が海水に浸かって全部ダメになってしまった。停電していて何も動かせない。保険でやろうと思うけどどこまで補填されるのか分からない。納めなければならない仕事もあるが一向に目途が立たない」
聞けば聞くほど深刻な事態である。そのうち、あちこちから情報が集まって来る。堤防が崩れたらしい。スクラップ会社のゴミが流され散乱しているらしい。道路が浸水して時間が経つほどに泥水となり異臭を放っている。どこそこの会社が大変らしい。機械が全部ダメになったらしい。知っている会社の名前が次々と挙げられる。
<大丈夫だろうか?>
月曜日はもちろん近づけない。火曜日も道はドロドロしていた。ようやく木曜日になって堤防まで行ってみた。大きく壊れていた(写真)。どの会社も後始末に大変で仕事どころではない様子である。知っている会社には近寄りがたい。物見高く思われるのも嫌であり、きっとそれどころではないはずである。ニュースによると100社近くが海水に浸かったらしい。
<こんな形で被災するとは………>
一日も早い復興を願うと共に今後の対策には万全を期してもらいたいと願うばかりである。
                                 (令和元年作)
(注)道川虹洋先生から20年ほど前に教えていただいた「暴風津波」という季語を使う時が来ようとは……。




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夜学子

夜学子に理解及ばぬ定理あり



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妻から映画に誘われた。菅田将暉主演「アルキメデスの大戦」である(写真)。
私「何の映画なの?」
妻「戦艦大和の製造に係わった数学者の話みたいなんだけど……」
私「ふ~ん、なんでアルキメデスなんだろう?」
妻「そこまでは分からない」
アルキメデスの原理って何だっただろう。パスカルの原理とゴッチャになっている。「容器の中の液体に圧力を加えると、同じ強さで液体のすべての部分に圧力が伝わる」というのがパスカルで、「液体の中の物体は、その物体が押しのけた液体の重さと同じ大きさの浮力を上向きに受ける」というのがアルキメデスである。
<ああ、船の浮力の計算だからアルキメデスなのか>
映画は戦艦大和の沈没シーンから始まった。そしてその世界最大の戦艦を建造するか否かを決める日本帝国海軍の最高会議のシーンに遡る。建造推進派が提出した見積金額に対し、反対派が「そんな安い価格で出来るはずがない」と疑義を申し立てる。「何かカラクリがあるはずだ」「本当に掛かる費用はいくらなのか」反対派はその金額を算出する必要に駆られる。限られた期限の中で僅かな資料を基に本来要するだろう費用を算出していくのが菅田扮する海軍主計少佐である。天才的数学力を以て見事に金額を算出していく。圧巻は参謀たちを前にして黒板に計算式を書き入れ、金額を算出していくシーンである。<演技とはいえ、よくもあれだけの数式を暗記したものだなぁ>と菅田将暉の凄さに圧倒された。
私「面白かったなぁ」
妻「良かった(笑)」
私「菅田将暉ってあんまり知らなかったけど、見直したよ」
妻「なかなかの演技力だったでしょ」

このブログを書きながら「ピタゴラスの定理」について考えていた。「直角三角形の斜辺の2乗は、直角を挟む辺を2乗して足したものと等しい」である。
10年程前、会社にベトナム人研修生が3名いた。3年間「機械工」として働いてもらった。実際の職場は機械工1名、板金工1名、塗装工1名であったが、1年が経ち「機械工」としての試験を受けることになった。実技試験である。機械工として働いていた1名は何の問題もなくクリアしたが、他の2名は落第した。やったことのない作業なので1ヵ月間練習しても上手くいかなかったのである。聞きつけた私は「なぜ落ちたのか」を検証するため、同じ作業を目の前でやらせてみた。その時、図面に寸法が記入されていない個所を見つけた。
私「ここの寸法が分からなければやりようがないだろう。だから面倒なやり方になっているんだ」
職長「社長、この寸法は難しいですよ」
私「バカヤロー、ピタゴラスの定理で計算すれば簡単に出るだろう」
職長「何ですか、ピタゴラスって?」
職場全員に「ピタゴラスの定理を知っている者は手を挙げろ」と言うと誰の手も挙がらなかった。<こいつら、学校で何も勉強してこなかったな>と思った。その反面、ベトナム人は3人が3人とも正しく理解していた。当社従業員のレベルが低過ぎるのか日本の学校教育の方法が間違っているのは分からないが、ベトナム人には確実に負けていることだけは確信した。
                                 (令和元年作)




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秋出水

川の名にペンケパンケや秋出水



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洞爺湖から歌志内まで150キロはあっただろうか。走りに走ってようやく戻って来た。歌志内を流れるのはペンケウタシナイ川、上砂川を流れるのがパンケウタシナイ川である。「ペンケパンケ」とはアイヌ語で「上と下」を意味する。
泊まりは上砂川の「ペンケの湯」である。予約したが手続きされていなかった「チロルの湯」や急遽そこで紹介された「浦臼の湯」のことを踏まえて<またどんなことになるのだろう>と身構えてもいたが意外としっかりした対応と想像以上に広い部屋が用意されていた。夕食も別の広間を貸し切って使わせてくれて、家族だけでゆったりと最後の夜を過ごすことが出来た。満足、満足である。

翌朝、またまた早く起き出して上砂川駅の方まで一人で出掛けてみた。駅舎は上砂川線の廃線に伴って使われなくなっていたが、ドラマ「昨日、悲別で」を記念して保存されている。現役で使用していた時とは建物の向きを変え、位置も少し移動したようである。鍵が掛かっているかと思いきや、ドアが開いた。中に入ってみた。プーンと黴臭いような匂いがした。当時のポスターや写真、シナリオなどが展示されていた(写真)。中を見て歩きながら昔のことを思い出していた。上砂川駅前に靴屋があり、そこの息子と私が高校で同じクラスだったのである。私が「ひ」で彼が「ふ」だったのでいつも続けて名前を呼ばれていた。東京で彼と会った。私が大学生で彼は働いていた。いや、浪人生だったかも知れない。どうやって連絡を取り合ったのかは忘れたが新宿あたりで飲んだような気がする。私も荒んだ生活をしていたし、彼も何となくヤバそうな雰囲気だった。楽しい酒という訳ではなく覚めたような気まずい酒になってしまったことを覚えている。45年も前の話である。あれ以来、連絡も取らず消息も聞いていない。今も靴屋はあるようなので電話一本で分かることなのだが、なにか怖いような気がしてそのままにしている。
外に出てその靴屋の前まで歩いてみた。早朝なのでシャッターは下りたままである。建物は昔と変わっていない。
「昨日、悲別で」の主人公「リュウ」や「おっぱい」「駅長」なども都会に翻弄されながら必死に生きていたが、自分も同じように不安な思いを抱えながら生きてきたような気がする。あの頃のことを思い出すと、今こうして普通に生きていることの方が不思議に思えてくる。
宿に戻って朝食を済ませ、すぐに実家に向かった。仏壇を拝んだ後、親戚の墓参りに出掛け、再び実家に戻ってしばらくしていよいよ出発である。「いろいろと有難う。身体にだけは気をつけて」と母に言われ「……」返す言葉が見つからない。家の横に立って見送ってくれる母の姿をしっかりと目に焼き付けようとするのはいつものことだが、見ようとすればするほど歪んできて見えなくなってしまう。
                                 (令和元年作)




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登山道

母が子に背ナで教へる登山道



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翌日は晴れていた。歌志内に戻る日だが時間はたっぷりとある。朝食後にまた<どこへ行こうか>の話になった。
私「馬に乗ろう。この近くに乗馬クラブみたいのがあった。思い出になるぞ~」
娘「そうよね、怖がると思うけど、行けば何とかなるだろうから(笑)」
「要予約」となっていたので、フロントに行って申し込むことにした。フロントではすぐに先方に電話をしてくれたが、当日分はすでに予約で一杯だという。
私「へェ~、満杯かぁ。考えることはみんな同じだなぁ(笑)。じゃ、昨日登れなかった有珠山に登ろう。天気もいいので洞爺湖も太平洋も一望出来るんじゃないか?」
チェックアウトのあと、昨日と同じコースで有珠山へと向かった。ケーブルカー乗り場はゴッタ返していた。
私「すごい人だなぁ。そうか、今日は日曜日か。だからこんなに混んでいるんだ(笑)」
団体客と乗り合わせてギュウギュウ詰めになりながら登っていった。着いた場所には何もない。右に行けば洞爺湖方面を望む展望台。歩いて1分ほどで、すぐにでも行ける距離である。左に行けば有珠山の火口を望む展望台だが、これは相当な距離を歩いて登らなければならない。普通なら何も考えずに左に歩き始めるところだが、89才の母がいるのでそうもいかない。
私「どうしようか?」
妻「どうしよう」
カズ君は常備された杖の中から好きなものを選んで振り回している。行く気満々である。
私「どこかで休んで待ってる?」
母「いや、大丈夫だ。行ける所まで行ってみる」
<本当に大丈夫かなぁ>と思いながらも、<キツければ戻って来ればいい>と考えて歩き始めることにした。杖も選んで準備万端である。最初は緩やかな下りである。結構な距離を下った。その後の上りは階段である。坂の傾斜に合わせて奥行きの広い階段が続き、急坂になるに従いその幅が狭くなるというものである。母も登り始めた。気合を入れたようである。スタスタスタと勢いが良い。<大丈夫かなぁ>
私が小学6年生の時、校舎の周りを何周も回る長距離走があった。上がり下がりの難コースである。その日の朝、母から言われたことを今でも覚えている。<自分が苦しい時は人も苦しいもんだ。苦しい時こそ人より前に出るもんだ>
イヤイヤイヤ、命に係わる話である。無理はしないでもらいたい。子供に伝えた教訓を今の自分で証明しようとしているのではないだろうか。ムリムリムリ。止めたほうがいい。山の上では救急車も呼べない。
母は階段の横の土の部分を歩いた。階段は使っていない。一段一段力を入れて段を上がるより、土の方が楽だという。我々より少し遅れるようになりながらも、途中1回休んだだけでとうとう上り切ってしまった。134段。標高573mに登頂成功である(写真)。
<苦しい時こそ人より前に出るもんだ>
肝に銘じた。
                                 (令和元年作)




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