ひこばえ
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寝言とも春呼ぶ神のお告げとも



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会社に横浜金沢観光協会から「よこかな」というパンフレットが届いた。何気なく見ていると「ボランティアガイド養成講座受講生募集中」の文字が目に留まった(写真)。「面白そうだぁ」と思った。
主催するのは「横濱金澤シティガイド協会」というNPO法人である。この会の催すウォーキングには何度となく出掛けている。これに参加者側ではなくガイドとして参加するというのである。興味をそそられた。
家に帰って家族にこう言い放った。娘二人がたまたま家にいた。
私「会社を辞めて次にやることを見つけた!」
娘1「なに、なに、急に何を言ってるの?冗談でしょ!」
私「いやいや、本気(笑)」
娘2「一体、何をやるというの?教えてよ」
私「以前、行ったことがある金沢区の名所旧跡巡りのウォーキング。あれのボランティアガイドを募集していた。これは面白いぞ。結構、覚えることも多そうだし、歴史にも詳しくなければならない。『えー、皆さん、こちらをご覧ください』ってやるんだよ」
娘1「ハハハハ……無理、無理、おーちゃんには絶対に向かない。何を言い出すかと思った(笑)」
娘2「そんなの一回でいやになっちゃうよ。<こんなお金にもならないこと、やってられない>って言うに決まってるよ。無理、無理、驚かさないでよ(笑)」
娘1「第一、余計な話が長すぎて合格出来ないんじゃない?長く話せばいいってもんじゃないからねぇ(笑)」
妻「冗談言ってないで、早くお風呂に入ってきて。こっちはやること一杯で忙しいんだから」

ひとまず、申込期限は過ぎていたが1月28日の「初不動に行ってみよう」に申し込んでみた。家のすぐ近所にある不動尊2ヶ所を巡るのだが、どのようにガイドするかを見て来ることにした。
                                 (平成30年作)




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枯岬

かはらけの跳ねて砕けし枯岬



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年末に出掛けた旅を長々と書いてしまったが、ようやくこれが最後の記事となる。
道の駅で鮒寿司を買って上機嫌で向かったのが長浜港である。そこから「竹生島(ちくぶじま)」に渡ろうというのである。<城ばかり見てきたので最後は島を巡るのもいいだろう>との思いつきである。「神の棲む島」と言われ古来より信仰の対象とされてきたと書かれている。島の弁天様は日本三大弁天の一つである。行くしかないと思った。
船に揺られること30分。小さな港に着いた。係員の係留を待ってゾロゾロと乗客が降り、それぞれがバラバラに先へと進んでいく。何の案内もない。後に付いていくと宝厳寺拝観の受付があり、自販機で切符を買う。かわらけ投げの受付もあったが、何のことか分からずパスをしてしまう。下調べなしというのは後悔の元である。<投げてみたかったなぁ>と旅の最後に小さな悔いを残してしまうことになってしまった。
石段を登り、本堂の前に。弁天様を拝み、小さな姫ダルマに願いを込めてお参りした。その周辺には不動明王、三重塔、宝物殿などがあり、中に入っても何かと気忙しい。時間に限りがあるのでゆったりと見学という訳にはいかないのだ。そそくさと見て回り、次なる観音堂へと向かう。国宝の唐門は見所だが、生憎の修復工事中で覆いがされて見ることが出来ない。中の通路もベニヤ板で養生され、工事作業中。千手観音があったはずだが、見たのだか見なかったのだか。なにやら悪い時に当たったようである。それでも重要文化財の船廊下だけはさすがに趣があり、豊臣秀吉の御座船の船櫓を利用したと聞けばなるほどとも思えてくる。都久夫須麻神社本殿は国宝である。見事な装飾にしばし見取れる。その先に龍神拝所があり、かわらけ投げの場所である(写真)。何人かが願い事を書き入れ、遠くの鳥居目掛けて放っていたが、いずれも届かずじまい。そう易々と願いを聞き届けてくれるものではないらしい。時計を見ながら少し慌て気味に港に戻る。「琵琶湖周航の唄」の碑など見たのち船に乗り込む。滞在80分。ガイドのなしの慌ただしいばかりの竹生島見学になってしまったが、これも旅の思い出である。暮れ押し詰まっての2泊3日の旅。走行900キロ、最後は渋滞に巻き込まれての帰路となった。
                                 (平成30年作)




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成木責

手心のなき傷一つ成木責



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翌朝「道の駅」は開いていた。正月休みという情報は何だったのだろう。開店と同時に入ってパック詰めの鮒寿司を一つ買い求めた。
私「臭いってどれ位なものだろう?家に帰ったらまずはカズ君に食べさせて、どんな反応するか試してみよう(笑)」
妻「止めなさいよ。冗談でもそういうことはするもんじゃないでしょ」
私「冗談、冗談。する訳ないジャン(笑)」
妻「分からないからねぇ、あなたっていう人は」
行動に信用のない私である(苦笑)。家に帰ってすぐに自分で食べてみた。
一口目、何と言うことはない。
二口目、「???」
私「何ていうことないジャン。全然、臭くないよ」
妻「あら、良かったじゃない。美味しいの?」
私「まぁまぁだなぁ。ちょっと臭みはあるけど、気になるほどじゃない。これが<臭い物ランキング>第2位とは意外だなぁ。もっと臭いのかと思った。ただ、しょっぱいだけだ」
妻「そんなにしょっぱい物を、全部食べちゃ駄目よ。身体に悪いわよ」
私「オッケー、半分で止めておきます」

残った半分を会社のメンバーで出掛けた初詣に持って行った。ビールのつまみである。
それを見た当社の工場長が即座に言った。
「明智光秀が接待に出して信長に怒られたという例のやつですね」
「接待?えっ、家康の接待か!あの時、この鮒寿司を出したんだっけ?」
「たしか、そうだったと思いますよ」
迂闊だった。そうとも気付かずに危うく全部食べてしまうところだった。確かに本で読んだことがある。あの時の接待に出した物だというのか。すぐに調べてみた。出所は「川角太閤記」というものらしい。私が読んだ本が何だったかは思い出せないが、そこに書かれていた概略は次の通りである。
天正10年(1582)5月、徳川家康は主だった重臣を引き連れて安土へと出発する。信長は街道の警備はもちろん、家康一行の宿泊予定地の領主にも出来る限りの接待を命ずる。15日、安土到着。安土での饗応役は光秀である。京や堺の珍しい食材を調達して最高のもてなしを準備したはずである。その検分に訪れた信長が一歩門に入ると魚肉の腐った臭いがした。怒って台所に向かい「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えてしまった。赤恥をかかされた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ捨てたのでその悪臭が安土の町に吹き散らされたという。この時の遺恨が本能寺での謀反へと繋がったというのが「怨恨説」である。腐った魚がこの鮒寿司だったという話になる。
(注)写真は「絵本太閤記」による。「饗応役を解任され、食い下がって森蘭丸に殴打される光秀」と記されている。
                                 (平成30年作)




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氷魚

氷魚も佳しさりとてまずは鮒寿司を



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2日目の宿は琵琶湖北端の尾上温泉に予約していた。湖に向いて全室露天風呂付きというところで決めたようである。彦根から長浜を抜け琵琶湖沿いの道を北へ走った。宿に到着する手前で「道の駅」に立ち寄った。飲み物やスナックの補給である。妻が買い物をしている間、店内をぶらついてみた。いつもの癖である。興味を惹いたものが一つあった。「ニゴロ鮒」である(写真)。
私「これ、美味そう。一つ買っていく?」
妻「何、また変な物でしょ」
私「飯寿司(いずし)みたいな物だと思うけど……北海道じゃ、鮭とかニシンとか使っているけど、鮒というのがどんなものか、食べてみたいよね」
妻「車の中に置いておくのも何だから、明日の朝にしたら……」
私「よし、そうしよう。明日の朝、買いに来よう」

その日の夕食時の給仕に来てくれた宿の男性とのやり取りである。
男性「それは鮒寿司という滋賀県の郷土料理です。このあたりの人は家で必ず食べます。私は食べませんけど(笑)」
私「えっ、どうして?郷土料理なんでしょ」
男性「臭いが駄目なんです。子供の頃に食べて、二度と口にしたくないと思いました(笑)」
私「臭いがきついんだ!」
男性「いやな臭いの食べ物<ベスト3>に入っていると思いますよ」
私「明日、道の駅で買って帰ります(笑)」
男性「道の駅は明日から休みになるんじゃなかったかなぁ」
私「えっ!!!」
スマホで調べてみた。「道の駅」は確かに翌日から正月休みになると書かれていた。
私「ひぇー、それはないよ。ひどすぎるよー!買っておくんだった!残念!」
<臭い食べ物ランキング>を調べると第1位の「くさや」に続き第2位にランキングされていた。凄そうである。絶対に食べてみたい。どんなことがあっても食べてみたい。
<「道の駅」が駄目なら、あとはどこで手に入るだろう>と考え始めていた私であった。
(注)「道の駅」には「氷魚(ひお)」の佃煮も売っていた。琵琶湖の名物で冬の季語になっている。
                                 (平成30年作)




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石垣は何も語らず冬の城



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関ヶ原から次の目的地「彦根城」まで高速道路に乗った。右手に雪で真っ白になった伊吹山が見えた。関ケ原の戦いのあと石田三成が敗走した山である。山岡荘八著「徳川家康」18巻「関ヶ原の巻」の文章である。
「十五日の夜、三成が伊吹山に逃げ込んだおりには、まだ従う者は二十人を超えていた。
すでに記したように十五日の夜の雨は、この敗戦の主従を間断なく打ちのめした。
ようやく止んだと思うと、又以前に数倍するはげしさで、用捨なく具足の奥の肌にせまる。従者の一人が、三成のためにどこかの百姓家から蓑笠を見つけて来て着けさせたが、そうしたもので凌げるほど安易な雨ではなかった。
十六日の夜の白みそめる頃まで、一行は山中を雨に向ってさまよい続けた。むろん正確に方角や道を知っての彷徨ではない。とにかく発見されまいとしての無目的にひとしい戦場離脱であった」

彦根城に到着した。凄いお城である。江戸時代、多くの大老を輩出した井伊家14代の居城である。その荘厳さは見事というしかない。お堀があり庭園があり様々な櫓が残されている。関ケ原の軍功により石田三成の居城だった佐和山城に入城した井伊直政が、中世的縄張りや三成の居城であったことを嫌い、慶長8年(1603)に彦根城の築城を開始する。天守閣は国宝である。登るとすぐ目の前に佐和山が見える。もちろん城はない。彦根城の完成により佐和山城は廃城となり、徹底的に破壊されたという。敗れた者の宿命ではあろうが一抹の寂しさを禁じ得ない。
お城のどこかで「ひこにゃん」に会えるかと思っていたが会えなかった。登場する場所と時間が決まっているらしい。「ゆるキャラ」とはいうものの著作権問題で揉めたことがあったように記憶している。私でさえ知っているくらいなので揉め事は長引いたのかも知れない。誰と誰が争って、どっちが勝ったのかは知らないが、片方が徹底的に潰されるのだけは良くないように思えたのは佐和山を見たからかも知れない。
                                 (平成30年作)




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