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日向 亮司

Author:日向 亮司
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松過ぎ

松過ぎの車窓に千葉の松林



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今年の成田山は11日(土)に出掛けてきた。会社の初詣である。以前は8名で出掛けていたが、最近は12名と増えている。JR横須賀駅発の成田空港行き電車に始発から数名が乗り込み席取りをする。グリーン車の1階に4人掛けが2つと2人掛け2つの個室のような場所があるので、そこを占領するのである。当初は1人にビール1、2本程度だったと思うが、そのうちエスカレートしてきてビールの他にチューハイ、ワイン、日本酒と種類も増え、量も増え、ツマミもいろいろと買い揃えて朝から宴会めいてくる。横須賀6時54分発で大船7時19分、成田到着が9時24分なので2時間、2時間半を飲み続けることになる。その間の会話が楽しい。「お参りをする前に何事か!」と叱られそうだが、乾杯の時からテンションが上がっている。私が乗り込む大船駅ではすでに30分飲んでいる人が3~4人いるので釣られてグイグイと始まるのである。話は何でもありである。何を話しても盛り上がる。特に酔ってくると同じ話を繰り返すというのもお決まりのパターンである。葬儀に出席して叱られた話は私の定番である。
私「あいつには参ったよ。お母さんの葬儀には花輪も出し、手伝いも出し、従業員も参列させたのに、その1年後のお父さんの時には家族葬でやると言うんだ。急にやり方が変わった」
あいつとは当社の30年勤続の男子工員である。仕事は真面目で申し分ないのだが口数が少なく、何年経っても無愛想なところがある。その無愛想を説明するのに持って来いの話となっている。葬儀は今から10年も前の話である。
T君「弔問に出掛けて社長が叱られたんですよね」
私「バカヤロウ!俺がこれから話そうって言うんだから先に言うなよ(笑)」
T君「社長を怒るっていうんだから、あいつも相当な奴だよ(笑)」
私「あの頃は家族葬っていうのが一般的じゃなかったんだよ。走りの頃だよ、きっと。だから俺もやり方が分からなかったので、来なくていいと言われたって俺の立場じゃ行かない訳にはいかないと思ったんだ」
T君「それが現れたんで『なんで来たんですか!』と怒ったっていうんだから凄いよ」
私「バカヤロウ!だから俺がしゃべるから黙ってろって(笑)。行ったらすぐに飛び出してきて『来なくていいって言ったじゃないですか!』と凄い剣幕なんだよ。中には入れないというような勢いだよ。参ったねぇ(笑)。『いやいや、焼香だけでもさせてもらおうと思って』と言うと『しょうがないなぁ、ホントに』と言って入れてくれたんだが、あそこまで言うかなぁ、わざわざ来てくれた人に(笑)」
T君「しかも社長だよ。社長が来てくれて怒ってるんだから、あいつも相当な奴だよ」
T君も相当に飲んでいる。知った話なので先回りして話そうとする。「俺が話すから黙ってろ」と言えば言うほど周囲が笑う。初めてこの話を聞く人もいたので大いに盛り上がったのだが、その瞬間……
「あっ!」
手に持っていた赤ワインのコップを落してしまった。私のズボンはワインまみれである。床も汚してしまったが、向かいに座っていたT君は素早く足を除けて被害なしである(写真)。電車は千葉県の市川あたりを走っていた。
                                 (令和2年作)




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厄落し

絵馬の字の「厄」は逆さま厄落し



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昔の話になるが当社の社長が立て続けに不幸に見舞われ、どうしたものかと悩んだことがあった。平成6年に2代目社長が55才で亡くなり、5年後の平成11年に3代目が59才で亡くなり、その3年後の平成14年に4代目が60才で亡くなった。急遽、社長は5代目へと変わり、手続きや挨拶回りなどでドタバタとしていた頃のことである。あまりに良くないことが続くので一度正式に占い師に診てもらおうということになった。占いに正式があるかどうかは分からないがこの流れをどうにか止めたかったのである。いつもお参りに行く成田山の茶店の女将さんに頼んで一番当たるという占い師の店で「何が悪いのかを診てもらいたい」とお願いしたのである。5代目社長と当時常務だった私の生年月日はもちろん、お互いの女房の生年月日も知らせ、会社の敷地や建物の図面なども送った。その時に書いた手紙が残っている。
『ようやく暑さも一段落といった所ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことを思います。先日お送りした挨拶状の通り、社長が〇〇さんに交代し、こちらもようやく一段落といった所です。〇〇前社長は療養中ですが、あまりいい状態ではありません。トップばかりに災難が起こるのを我々下にいる者は不安な気持ちで見ています。昭和57年に現在地に移転してきたことが悪いのか、平成元年に行なった増築が悪いのか、玄関やら水回りやら、どこか建物の方角に問題があるのか、素人があれこれ憶測したところで始まるものではありません。一度専門家に診てもらい、正すべきところは正そうと考えています。言われた資料は同封いたしました。お手数ですがよろしくお願いいたします』
結果はすぐに出た。電話があり「何の問題もなし」とのことだった。
「何の問題もなし……?」
「問題なし」は喜ぶべきところではあるが、あまりに簡単なので拍子抜けしたものである。9月に成田山に行った際に、念のためにその占いの店にも出掛けて直接話を聞き、建物にもお互いの相性にも問題はないとの太鼓判をもらったのであった。ただしその時、最後に言われたのが「八方除け」についてである。
「こうも不幸が続いていては心配するのも当たり前。会社の近くに寒川神社があり、関東の一ノ宮となっているのでそこにお参りして八方除けのお祓いをしてもらうのがいい」とのことであった。「なるほど」と思った。「それで断ち切れるのであれば一度行ってこよう」ということになり、二人で出掛けたのであった。それ以来のこととなる。一度という訳にもいかず、毎年、暮れになると出掛けてお祓いをしてもらっている。昨年の暮れにも一年のご加護をお願いしてきた。18回目のお参りとなる。
                                 (令和2年作)




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落葉

思ひ出の落葉一枚小机に



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翌朝ホテルで快晴の富士山を眺めながら朝食を済ませ、少しノンビリと過ごしてから横浜の小机に向かった。「小机城址」の見学である。太田道灌を廻る旅の締めくくりに寄ってみたかったのである。
文明10年(1478)、太田道灌率いる軍勢が丸子城と小机城に向かっていた。ようやく古河公方足利成氏と上杉顕定が和睦し、残る敵が成氏に味方していた長尾景春その一派だけとなっていた。丸子城に着くと敵は恐れをなして小机城に下がって集結していた。一気に攻め落とそうと進軍したが、道灌率いる足軽隊の数は百騎たらずである。対する小机城には数百人が籠城している。さすがに足軽隊の士気は上がらない。
「めずらしく足軽隊が敵を恐れています」
「ふむ」
馬上で道灌は考えた。やがて
「いま、おれは軍歌を作った。これをみんなで歌おう」
怪訝な顔をする部下の前で歌い始めた。
「小机はまず手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりになる」
聞いていた者が吹き出した。
「いや、おもしろい歌です。その歌を歌えば、足軽隊も一気に士気が盛り上がるでしょう」
足軽隊もゲラゲラと笑い出した。これから攻める「小机城」と子供が手習いを始める「小机」を引っ掛けたのである。ちりぢりになるとは敵がちりぢりになるということであり、こちら側の勝利を意味する。一斉に歌いながら攻め立てて難なく城を落としたことはもちろんである。童門冬二の「小説太田道灌」の第2章で面白おかしく書かれていたので一度見ておきたかったのである。
JR小机駅から歩いて10分ほどの駐車場に車を停めて歩いた。踏切を越えて民家の中を行くとすぐに城址の登り口となっていた。「小机城址市民の森」という公園になっていて階段や柵などが整備されている。竹林の中を進み、空堀や土塁の跡などを見て回った。本丸広場、二ノ丸跡、曲輪跡、櫓跡などがあり、第三京浜に分断された先には「富士仙元」と呼ばれた曲輪跡もあり日産スタジアムも近くに見えた。日曜日だというのに訪ねてくる人もなく、一人寒林の中で鳥の声を聞きながら500年もの昔に思いを馳せたのだった。
                                 (令和2年作)




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冬の月

泣きながら帰る夜道や冬の月



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ホテルは飯能の駅前に取っていた。3時半に到着し9階にある部屋ですぐにうたた寝をしてしまった。夕方6時になって目が覚め食事に行こうと考えた。折角の旅なので美味しいものを食べようと「飯能、料亭」と検索すると川べりにある店が出たが、行った人のコメントに「店員の態度が良くない」などと書かれていたので二の足を踏んだ。
<昼間の鰻屋と同じように一人の膳はつまらないことになりそうだなぁ>
繁華街に出て居酒屋あたりで軽く一杯飲んでくることにした。通りに面してやっている居酒屋があったので中を覗くとカウンター席でタバコを吹かしながらホッピーなどを飲んでいる男性がいた。<この店に入るとあの男性の横に座らされることになりそうだなぁ。知らない酔っ払いの隣の席はいやだなぁ>そう思うとどこの店も同じように見えてくる。いつもは考えることもなく入って行く店の前で酔っ払いの中でポツンと座っている自分を想像してしまいなかなか入る気になれない。Uターンして駅ビルまで戻って来てしまった。<どこに入るにしても週刊誌くらいは持って行った方が良さそうだなぁ>と思いビルの中の本屋に入ってみた。別に読みたいものがある訳ではない。フラフラと店内を歩き、目に留まったのが「妻に捧げた1778話」という本である。ベストセラーのコーナーに置かれていた。「余命一年と宣告された妻のために毎日一篇の話を書き続けた」とある。新書なので読みやすそうでもあり、迷っている時間もない。買ってエレベーターに乗るとそのビルの中にある「山内農場」という店の広告が目に入った。入ったことはないが駅ビルの中でもあり、少しは高級感もあるように思えた。
「いらっしゃいませ」
足を踏み入れてすぐに後悔した。他の居酒屋と変わりがない。酔っ払いの声が飛び交っている。止めようかと思ったところへ「お一人様ですか?」と女の子が声を掛けてきた。咄嗟に聞いていた。「一人なんだけど個室はあるの?」「少々お待ちください」と言ってすぐに戻ってきた。「こちらにどうぞ」個室があるようである。付いていくと角部屋に案内された。本来3人掛けの部屋ではあるが使わせてくれるようである。<言ってみるものだなぁ>と思った。馬刺しや鳥ワサなどを注文して店員さんと冗談を言いながら気楽に始まった。ビールを飲んでしばらくしてから買った本を捲ってみた。著者眉村卓。作品に「なぞの転校生」「ねらわれた学園」などと書かれている。<ああ、あの人か>
──妻が退院して1ヶ月後、本好きの妻のために出来ることを考え「毎日1話ずつ短い話を書くけれど、読んでくれるか?」と聞くと「読む」と言う。始めて3ヶ月くらいして妻が「しんどかったら、止めてもいいよ」と言ってくれたが「お百度みたいなもんやからな」と言って続けた。その辺りから少しウルウルしてくる。「これほど長く一緒に暮らしているのに、自分には妻のことがろくに分かっていなかったのではないか──と、たびたび思い知らされた」とある。グッとくる。「妻が永眠した。最初の入院・手術の日から数えて五年に十五日足りない。私は遺体と共に家に帰り、『最終回』という話を書いた」──本文を読んでいないというのに涙が流れた。皿を下げに来た店員が私が泣いているのを見て「ど、どうかしましたか?」と聞いてきた。「ワサビが……」と応えるのがやっとだった。
ホテルの部屋に戻ってその夜のうちに全部読み終えたのはもちろんである。
<どうして一人で来てしまったのだろう。これからは必ず一緒に来よう>
妻のことをこうも恋しく思った夜はない。
                                 (令和2年作)




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冬日向

父と子と墓を並べて冬日向



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「山吹の里」の次に向かったのが太田道灌の墓がある「龍穏寺」である。車で30分ほど移動した。
文明18年(1486)、道灌が主君である上杉定正の不興を買い、謀殺されたのが神奈川県伊勢原市の相州糟屋の定正邸の中である。墓は伊勢原の大慈寺、洞昌院、鎌倉の英勝寺などにもあるようだがこの越生のお寺にも建てられている。幹線道路から山道に入り、辺りに何もなくなったような森閑とした場所にお寺があった。想像した以上に大きなお寺で境域が途轍もなく広い。というより周囲が山なのでどこからどこまでがお寺なのか分からないのである。のちに徳川家康が曹洞宗の関三刹(関東における曹洞宗の宗政を司る三個所の寺院)に指定したというほどの寺である。立派な山門を潜り、道灌の像の横を通り、本堂にお参りする。誰もいない。龍神伝説などとも書かれている。道灌の墓はすぐ左手の山を少し登った所にあった。父道真と共に祀られていて五輪塔や宝筥印塔など9体が横一列に並んでいた。あまり横幅がありすぎて写真に収まらないので登り口にあった立て札を載せておくことにした。ここにもやはり山吹の葉っぱが添えられている(写真)。
越生の父の庵で開かれた歌の会に主君定正を招き、後日そのお礼にと定正邸に招待される。重臣達の心配を余所に出掛けていく。上機嫌で迎える定正。「この間は非常に楽しかった。おまえの舞いも相当なものだった。おまえへの礼の宴は別館でやろうと思っている。どうだ、先に行って風呂でも浴びろ」勧められるまま別館に向かい風呂に入った。入浴を終わって戸口まで出ると、突然一人の武士が斬りかかってきた。
「おまえは何者だ?」
「曽我兵庫です。お許しをいただきます!」
わめきながら何度も太刀を浴びせてきた。道灌は風呂場に倒れた。曽我は止めを刺した。止めを刺される直前、道灌は大きく叫んだ。
「当方滅亡!」
自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという意味である。

道灌の最期については様々な言い伝えが残されている。
道灌が歌道に通じていることを知っていた暗殺者が次のように問う。
「かかる時 さこそ命の 惜しからめ」
(いざ死ぬとなると、いくら武勇で知られたあなたでも、さすがに命は惜しいでしょう)
それを受けて道灌は次の下句を詠んだという。
「かねて亡き身と 思い知らずば」
(常に死を覚悟していない者ならば、そうであろうよ)
新渡戸稲造が著書「武士道」の中で紹介し、武士のあるべき最期の姿として広く知られるようになったという。
                                 (令和2年作)




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